経済
行動経済学 経済は「感情」で動いている/友野 典男
近代経済学の多くは人間は利潤を最大化するという合理的な行動に依拠するという前提の「合理的選択理論」の上に構築されてきた。しかし、もちろん経済学者誰もが現実の人間が合理的に行動するなどと考えているわけではないであろう。では、なぜ未だに合理性に基づいて理論を構築しているのだろうか?合理性に依拠する理由としては、かのミルトン・フリードマンは経済主体は「あたかも」合理的に行動しているので特に問題は無いと主張した。他の理由としては、合理的理論の他に適当な理論が見当たらないので、現在の理論は暫定的な理論であるとも言われている。つまり仮に現在の理論が正しくないと認めると経済学の体系が崩れてしまうのだが、しかしそれに変わる理論が無ければ現行の経済学者の依り所が無くなってしまうので困ってしまうのである。
そこで近年登場してきたのが行動経済学である。行動経済学においては、実際の人間の行動を出発点に置き、その行動の原因や経済社会に及ぼす影響を究明し人々の行動のコントロールする事を目的としている。つまり近代経済学においてはある合理的な前提を置いて理論を構築しその上で現実との整合性を探っていたが、行動経済学においては出発点を実際の人間の行動に置く事から始める点が大きく異なっていると言えるのである。では行動経済学で用いられる概念にはどのようなものがあうのだろうか。
行動経済学において主に用いられる概念にヒューリスティックス(便宜的な手がかり)とバイアス(偏見・先入観)がある。
工事中
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「骨太の方針2007」のメモ
参考リンク
骨太の方針 2007 (PDF)
経済財政改革の基本方針2007のポイント (PDF)
メッセージ性の不足←抽象的正論の羅列・作文でしかない・具体的な数字の欠如
美しい国・イノベーション加速←抽象的過ぎる
内容の多さ←予算獲得のための手段化
効率性の向上→ユビキタス特区の設立→日本は既にユビキタス状態である
人口減少化における成長の実現→労働生産性の向上(時間当たり付加価値G7水準)→失業率の増加
労働生産性の向上→中小企業底上げ・地域力再生機構・規制改革
最低賃金の向上→仕事の流出
オープンな経済システム→金融、資本市場改革・航空自由化
EPA(経済連携協定)の締結→日本の国際競争力の弱さから失業の危機
IT革命の浸透+新興国の台頭→日本もIT技術の革新・オープンな経済→戦後レジームからの脱却→社会保障制度・社会資本制度の再設計・労働市場、資本市場の機能強化・行政単位の見直し
東京23 区内のハローワーク2か所における無料職業紹介について市場化テストを行う←骨太方針に書くレベルではない
大前氏の結論→ただの思い付きである
参考文献
日経新聞 経済教室 6/25 〜 6/27
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”ケインズ”の考える経済学者の資質(「人物評伝」より)から見る経済学徒批判
経済学者の研究は、非常に高度な専門的資質を必要とするものではない。それは、知的見地からいって、哲学や純粋科学などのもっとも高度の部門と比較すると、むしろ容易な問題だ、と言えるのではないだろうか。にもかかえわらず、すぐれた経済学者、いな有能な経済学者すら、類いまれな存在である。やさしいにもかかわらず、これに抜きんでた人のきわめて乏しい学科!このパラドックスの説明は、おそらく、経済学の巨匠はもろもろの才能のまれに見る結合をもたなければならない、ということのうちに見いだされるであろう。経済学者は、ある程度まで、数学者であり、歴史家であり、哲学者でなければならない。彼は記号を理解し、しかも言葉で語り、特殊なものを一般的な形で考え、その思考の過程で、具体的なものにも抽象的なものにも触れなければならない。彼は未来の目的ために、過去に照らして現在を探求しなければならない。人間性や制度のどのような部分も、彼の関心外にあってはならない。彼は、その気質において、目的意識に富むと同時に、公平無私でなければならず、芸術家のように高く飛翔しうるとともに、しかもときには、政治家のように大地に接近していなければならない。
この文章から示唆される事はいくつかあるのだが、まず一文目の「経済学者の研究は、非常に高度な専門的資質を必要とするものではない」という部分から考えてみよう。現在の経済学はケインズの生存していたいた時代よりも確かに高度化・多様化してはいるが、哲学や純粋科学などの数千年に渡る学問の積み上げてきた歴史やその理論からするとまだまだ遠く及ばない。これは他の学問分野に少しでも触れたのちに経済学を相対化して捉えてみると分かる事であるのだが、しかし意外と経済学の殻に閉じこもることに終始している人が多い。この事は、第三文目の「(易しい)にもかかえわらず、すぐれた経済学者、いな有能な経済学者すら、類いまれな存在である。やさしいにもかかわらず、これに抜きんでた人のきわめて乏しい学科」からも示唆される。ここから導出されることは、経済学のみを絶対的に捉えて勉強している人にはある程度以上の能力的発展を期待する事は出来ず、他の学問の分野(理数・人文)に触れながら経済学を勉強出来るぐらいでないと期待できない、言い換えればそもそもその事に気付く才能が無いと言う事を示唆している。それは本文後半の記述や学問の発展(特に経済学)は他分野学問の応用の結果発展してきたことからも窺えるであろう。さらに、この事から数学的素養が不十分な文系人間を経済学に押し込めるという現行の日本の文・理選択制度の考え方が誤っている事も初歩の段階で誤っている事も導かれる。特にここ最近では大学においても教養科目の質的・量的減退が進んでおり中身が希薄な人間が世に大量生産されている現状は深刻である。
また、これはどの学問(または一般的に物の見方)にも言える事だが、ある一つの事に集中していてもその真理は総じて見えてこないものだ。というのも視点が一点に定まってしまうと見えない事が他からの視点を与えることで事で初めて見えてくる事が多々あるからである。これは誰しも経験的に分かる事であろう。そういうわけで経済学にも様々な批判がなされているがその多くが部外者からの批判である。その様な批判もこのブログでその内取り上げてみたいと思う。
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Wikipediaで経済学(学問)
しっかり体系付けされていてリンクを辿れば加速度的に興味も知識も増える点がこのWikipediaの強みだな。内容的にテキストの深さは無いけどうまく使えば今の自分の立ち位置の確認と共に今後進むべき道筋が見えてくる事だろう。
編集人の皆さんにはいつも勝手にお世話になっております。拙ブログ上から感謝の意を表したいと思います。
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「地域力再生機構」の創設提案と地域格差
経済財政諮問会議が去る28日に開かれ「地域力再生機構」の創立が提案された。「地域力再生機構」とは、地域経済の活性化のために地方の中小企業、金融機関等の手助けまた第三セクターの再生や破綻処理の役割を果たすと言われていて言わば「産業再生機構」の地方版の事である。
機構の資本金は500億円で設置期間は5年という事だが、官主導の組織のため再生の対象企業や資金の透明性を保持し不透明な介入を防ぐ手立ても欠かせないところだ。
この中でも特に建て直しが急務なのは、「民間活力の活用」どころか地方財政の足枷と成り下がっている「第三セクター」であろう。民間に委託し辛いこの「第三セクター」こそ率先して調整を手がけるべきである。
ところで、「地域力再生機構」の設立の背景でもある都市部と地方圏の経済格差が深刻だと言われている。2007年 4月 完全失業率3,8%でも記した所得や雇用の格差や、当記事における企業の業績格差、また三位一体政策もその一因と言われている財政力の格差が広がっている。
それに対して国ももちろん対策を打ち出している。「地域力再生機構」の他にも「ふるさと納税」や「道州制」における議論、また経済財政諮問会議においても積極的に話し合われており、観光学における地域観光の促進等々新聞・ニュースでは地域格差是正の話題が後を絶たない。
しかしそもそも、本当に地方格差は拡大しているのかという事が疑問である。「地域格差」は拡大しているか〜統計的実態と格差意識の乖離が示唆するもの〜によると
「所得・雇用面での統計から見る限り、地域間格差はここ数年拡大の兆しがみえるものの、やや長い目で見れば格差拡大を必ずしも断定できない。 生産面(企業活動面)での地域間格差は拡大の方向性がより明確に認められる」
との事でまだまだ限定的であり、多少のバイアスが掛かっていると主張する。
これから地域格差の議論は本格化していくが、国民は政策の是非を見極めるために積極的に関わる必要があると言えよう。
ソース
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経済学のすすめ/伊東 光晴・佐藤 金三郎
採点
65点
項目
1、経済学を学ぶまえに
2、経済学的考え方
3、古典に学ぶ
4、マルクス経済学に学ぶ
5、近代経済学に学ぶ
6、経済学と現代
経済学のすすめ
経済学というものは、古くからある学問―哲学・法学・医学・神学等とは違い、比較的に最近出来た学問である。よって、年々経済学が進歩する割合は、古い学問と比べると未開拓な部分が多い故に、大きいと言うことになる。そういうわけで、約35年前に発行された本書は内容的に古いと感じられる部分がある事は否めない。
内容のレベルはというと「すすめ」という事で、まさに初学者向けのものである。まずは、第1章と第2章で経済学の根底に流れる立場や考え方を理解し、その後第3章〜第5章において、古典派経済学・マルクス経済学・近代経済学の流れや考え方を学び、第6章において経済学の現代(といっても1970年当時)の経済学の時流を読むに到る。
しかし、先ほどにも書いた通り残念ながら内容が古いので、おそらく本書より今の時代に即した経済学の初学者のための書が出ているはずである。もっとも本書は入手もしにくいので、お目にかかることが出来る人がそうそういるとは思えないが。
よって、特に書評としては書くには忍びないのであるが、長所を上げるとすると書き方がものすごく丁寧で読者視点で書いている点である。文体自体もですます調であるし優しく語りかけている文調なのである。
そう思ってアマゾンで伊東 光晴氏の作品の評価を見たら思った通り、ほぼすべて五つ星であった!日本経済を問う―誤った理論は誤った政策を導くは面白そうだし岩波 現代経済学事典なんかは経済学を学ぶ者にとってはとても参考になりそうな事典である。
そこで、伊東 光晴氏のプロフィールを載せて本記事を閉めたいと思います。
伊東光晴(いとう・みつはる、男性、1927年9月12日 - )は東京都出身の経済学者、京都大学・中国復旦大学・福井県立大学の各名誉教授。1992年紫綬褒章。東京都立両国高等学校卒(42回)。1951年東京商科大学(現一橋大学)卒業後、同大特別研究生、東京外国語大学教授、法政大学教授、千葉大学教授、京都大学経済学部長(1990年1月- 1991年3月)、放送大学教授、福井県立大学大学院経済・経営学研究科長、早稲田大学客員教授等を歴任。著書に『保守と革新の日本的構造』『ケインズ』『シュンペーター』(根井雅弘と共著)など。杉本栄一の影響の下、マルクス主義的を媒介としての近代経済学研究に従事する。近代経済学者にしばしばありがちな、マルクスへの無視ではなく、もちろん、旧来のマルクス主義からの超越的批判でもない柔軟な研究は、市民社会派の一員であることを示している。1960年代から80年代にかけてはテレビでの解説でも知られ、学問と市民の日常をつなぐことにも大きな功績があった。
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日本経済を学ぶ/岩田 規久男
採点
80点
項目
第1章 戦後復興から高度経済成長期まで
第2章 バブル景気から「失われた一〇年」へ
第3章 日本的経営とその行方
第4章 日本の企業統治
第5章 産業政策と規制改革
第6章 構造改革と少子・高齢化
第7章 日本経済の課題と経済政策
こんな人にお勧め
戦後から2004年までの日本経済の基礎的な部分をざっと見直したい人。
内容のレベル
6
(書評)日本経済を学ぶ
本書の特徴を簡潔にいうと、日本経済に無知な者でも分かり易い様に、戦後から現在までの日本の状況や政策の要点が説明してある本であると言える。
そのまんまの意味なので特に補足する必要も無いと思うが、例えば、「石油ショック」だとか「日本的経営」または「高度経済成長」といった日本人なら一度は習ったり、耳にしたことがあると思われる、過去に日本が歩んできた経済史をある程度詳細に網羅している。
しかし、上に挙げた時代に生きていない若者にとっては、個々の言葉を聞いたことはあっても、実際にその時代を経験していないので実感が沸かないのではないだろうか。結局は本というのは、字という媒体を通してしか伝えられないのだが、少なくとも本書は高校の教科書よりも詳しいので、大学初期の学生等の経済を分かっている様で実は分かっていないあの時期の人に一番有効な本なのではないかと思われる。だから、経済に強いと自任している人は知識の補完の意味で読んでみたらよいのではないでしょうか。
また、本書では1,2年前の小泉首相時代の政策、例えば郵政民営化等について等も触れられている。あの頃いまいち理解できなかった人はまだ遅くはないから、ぜひ本書を読んでみるべきである。
ところで、著者の岩田氏は熱心な低インフレ論者である。というのも氏の主張するところは、政府の財政政策と日銀の金融政策により経済成長率を毎年約3%成長のいわゆる低インフレを維持することが、今の世界の主流であり、またその政策によって実際安定的な成長をしている国があることを論じ日本もそうすべきだという。
また、そのためには政府は市場に介入すべきではないという立場を取っている。というのも、結局は政府が市場に投資するお金は、議員自分自身が払うお金ではなく、税金や国債で集めたお金を使うわけだから、お金の使い方が悪くても大して痛みを伴わないので、真剣身に掛け無駄遣いをするからだそうである。
なるほど、わたしは本書を読んでいる限りでは低インフレに賛成なのだが、また違った視点の考え方も考慮したいので、これからもいろんな経済書を読んでいくことになるのだろう。
最後に
表紙には、たびたび話が脱線すると出ていたが、あんまり脱線していなかった様な気もする。つまり、しっかり本筋を捉えていたと言い換えることが出来るのではないでしょうか。
お勧め「日本経済を学ぶ」参考ブログ
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