本
マンキュー経済学〈1〉ミクロ編/N.グレゴリー マンキュー・(訳)足立 英之・小川 英治・石川 城太・地主 敏樹
項目
第1部イントロダクション
第2部 需要と供給1:市場はどのように機能するか
第3部 需要と供給2:市場と厚生
第4部 公共部門の経済学
第5部 企業行動と産業組織
第6部 労働市場の経済学
第7部 より進んだ話題
個人的にミクロ経済学の全体把握のために、今更5時間ぐらいで斜め読み、一部精読。もっとも、この改訂版は図書館にて貸し出し中だったので、初版の方ですけども。
716ページというページ数からして言うまでもないが、ある程度の経済学の知識がある者にとっては「分かり易さ」という名の元で内容が冗長であるからして、既知の部分が多く出るというレベルからも時間対効果の観点からも細部まで読む必要はまず間違いなく無い。まぁ、読み物として面白い具体的・コラム的なところや現状では不足している知識の部分だけ読めば良いだろう。
このレベルだと読者対象は大学初年度におけるやる気ある人向けといった感じかな。というか経済学部に入る人は損は無いからこういった基礎体系的な本を読んでおいた方が良い。
そうしたらわたしみたいに今更になっていちいち斜め読みして知識の補足をしなくてはならないレベルでは無くなるから。まぁ、数学の知識もほぼいらないから一日二時間ぐらいでも半月あれば読めるだろう多分。
もっとも、これだけでは゛経済学゛とは呼べないので、基礎をかじっときたい人以外はより上級の経済書を読まなければならない。
(斜め読み&手元に無い、とかこつけてよく覚えてないから月並みのことしか書けない ^^;)
それにしても、第7部のより進んだ話題が予算制約式とか実際半歩ぐらいしか進んでない(注 旧版) (笑
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(書評)インテリジェンス 武器なき戦争/手嶋 龍一・佐藤 優
項目
序章 インテリジェンス・オフィサーの誕生
第1章 インテリジェンス大国の条件
第2章 ニッポン・インテリジェンスその三大事件
第3章 日本は外交大国たりえるか
第4章 ニッポン・インテリジェンス大国への道
採点
85点
(書評)インテリジェンス 武器なき戦争
外交をするに当たって、インテリジェンス(情報)を扱うことは必須条件である…本書はそういったテーマの下、手嶋 龍一氏・佐藤 優氏の両インテリジェンスオフィサーが国際的または歴史的な外交インテンジェンスの話題を出しながらの対談形式で進められていく。
「インテリジェンス入門書」と言う触れ込みだがまさにその通りで、というのもわれわれ一般人が表面的に情報を受け取っている限りでは分かりえない裏の事情が彼らインテリジェンス分析官には分かり、そのインテリジェンスから分析した情報を用いて、外交を運ぶ重要さを初心者に分かりやすく説いている。
さらに、その重要さを説く際の事例が豊富なのである。例えば、第二次世界大戦期に日本で暗躍した二重スパイであるリヒャルドゾルゲについての事情や、はたまたイラク戦争における各国の動きをインテリジェンスを中心に追ったり、とにかくわれわれではとても思いもつかない分析を展開しインテリジェンスの魅力を220ページに渡って語っている。
また、両人は日本がインテリジェンス弱国である事を心から憂れいている。それは、本書一番の主張であるところのインテリジェンスに携わる人材を育てよと何度も繰り返しているところからも読み取れるが、近い将来お二方が先陣を切って行動に移すのではないかという期待も持たせてくれる。
しかし、本書の情報をすべて鵜呑みにしてはいけない。というのも両人が言っているようにこういった公に出る情報は、二重にも三重にも仕掛けを施してあるものだからであるが、本書におけるその仕掛けを見抜くのも面白いかもしれない。
(感想)インテリジェンス 武器なき戦争 に続く
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経済学のすすめ/伊東 光晴・佐藤 金三郎
採点
65点
項目
1、経済学を学ぶまえに
2、経済学的考え方
3、古典に学ぶ
4、マルクス経済学に学ぶ
5、近代経済学に学ぶ
6、経済学と現代
経済学のすすめ
経済学というものは、古くからある学問―哲学・法学・医学・神学等とは違い、比較的に最近出来た学問である。よって、年々経済学が進歩する割合は、古い学問と比べると未開拓な部分が多い故に、大きいと言うことになる。そういうわけで、約35年前に発行された本書は内容的に古いと感じられる部分がある事は否めない。
内容のレベルはというと「すすめ」という事で、まさに初学者向けのものである。まずは、第1章と第2章で経済学の根底に流れる立場や考え方を理解し、その後第3章〜第5章において、古典派経済学・マルクス経済学・近代経済学の流れや考え方を学び、第6章において経済学の現代(といっても1970年当時)の経済学の時流を読むに到る。
しかし、先ほどにも書いた通り残念ながら内容が古いので、おそらく本書より今の時代に即した経済学の初学者のための書が出ているはずである。もっとも本書は入手もしにくいので、お目にかかることが出来る人がそうそういるとは思えないが。
よって、特に書評としては書くには忍びないのであるが、長所を上げるとすると書き方がものすごく丁寧で読者視点で書いている点である。文体自体もですます調であるし優しく語りかけている文調なのである。
そう思ってアマゾンで伊東 光晴氏の作品の評価を見たら思った通り、ほぼすべて五つ星であった!日本経済を問う―誤った理論は誤った政策を導くは面白そうだし岩波 現代経済学事典なんかは経済学を学ぶ者にとってはとても参考になりそうな事典である。
そこで、伊東 光晴氏のプロフィールを載せて本記事を閉めたいと思います。
伊東光晴(いとう・みつはる、男性、1927年9月12日 - )は東京都出身の経済学者、京都大学・中国復旦大学・福井県立大学の各名誉教授。1992年紫綬褒章。東京都立両国高等学校卒(42回)。1951年東京商科大学(現一橋大学)卒業後、同大特別研究生、東京外国語大学教授、法政大学教授、千葉大学教授、京都大学経済学部長(1990年1月- 1991年3月)、放送大学教授、福井県立大学大学院経済・経営学研究科長、早稲田大学客員教授等を歴任。著書に『保守と革新の日本的構造』『ケインズ』『シュンペーター』(根井雅弘と共著)など。杉本栄一の影響の下、マルクス主義的を媒介としての近代経済学研究に従事する。近代経済学者にしばしばありがちな、マルクスへの無視ではなく、もちろん、旧来のマルクス主義からの超越的批判でもない柔軟な研究は、市民社会派の一員であることを示している。1960年代から80年代にかけてはテレビでの解説でも知られ、学問と市民の日常をつなぐことにも大きな功績があった。
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知的生活の方法/渡部 昇一
採点
85点
項目
1−自分をごまかさない精神
2−古典をつくる
3−本を買う意味
4−知的空間と情報整理
5−知的生活と時間
6−知的生活の形而下学
知的生活の方法
「知的生活」な方法論ということで、まさに知的な生活を目指す人にとっては、題名負けしないくらいに最適な書である。ただ、いくらベストセラーの書とはいえ、さすがに30年も前の書なので現代の生活水準と違う故、現代的に代替可能な箇所が部分部分に見られる。しかし、その根底に流れる知的生活法は見習うところが多いものであるので、わたしは気に入ったところを超主観的に振り返ることに留めるが、ぜひ知的生活を志す者は読んだ方が良いと思われる。
1−自分をごまかさない精神
自分をごまかさない精神−ここで主に学んだことは、自分に合わない本は読まなくても良いという事だ。これが、出来てるようで案外出来ていない。少し読んでみてつまらない本は読まなくても良いのに、わたしは惰性で読んでしまう癖があるので、徹底的に直さないといけないものである。
そこでこの教訓は早くも、上巻を読み終わっているのだが正直微妙だった某書の下巻を読まない、ということで実践してみた。おかげで、他の本当に読みたい本を読めるようになったので、早くも効果ありの様相を呈している。しかし、本書にも示している通り過度に読みたくない書を遠ざけるのも、それはそれで問題ありなのでその辺は注意が必要である。
2−古典をつくる
自分なりの古典を作る、すなわち何度も読み返す書を作る。これもなるほどの一言である。片っ端から次々と読んでいく表面的な読書はやめて、自分の気に入った書を精読する。
またまた私事で申し訳ないが、これも早くも実践してみた。この一個前の記事哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫シリーズは良書につき、要約するために二度読んでみたのである。すると何だか読み書きのレベルが上がった様な気がするのは恐らく勘違いではない(はず)。
3−本を買う意味 4−知的空間と情報整理
本を買う、すなわち本を家に置く量と知識量は大体比例するものである、と作者は言う。ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論/立花 隆 で物書きは大量の本を蔵書していることは知っていたが、わたしは図書館がと言うか大学が近くにあるので少し億劫になっていた。
しかし、この際だからと早速古本屋に行って18冊購入して積読してみた。確かに気分的にも違うような違わないような…まぁしかし将来的には本を買い、蔵書する必要性が出てくるので今のうちに買っとくのも良いものであろう。
5−知的生活と時間
この章は、時間の見切りと安らぎの時間をとると言うところがためになったかな。読書中時間をかけても分からないところは時間制限をかけてすぐに次の行に行く。また、どうも最近体の調子が悪いと思ったら、安らぎが少々足りなかったみたいである。たまには散歩でもしてみようかな。
6−知的生活の形而下学
この章は、ウィスキーが頭の働きに良いとか言ってるが実際はどうなんだろう?盲目的に信じるのもどうかと思うけど、試してみても損はないかも。交際を楽しむでは、たまには頭のいい人を連れて話をするのもいいかもしれないね。
私見〜本書がベストセラーになったわけは?〜
本書がベストセラーになったわけ、それは内容もさることながら2,30年前の人は「知的」と言う物に憧れている節があったのではないだろうか。そこにおいて現代は、体−すなわち外的欲望にまかせるがままに行動して、知能−すなわち内的欲望を満たそうという人は減ってきているのかもしれない。
これは実際のデータが無いのでなんとも言えないが、最近のベストセラーは外的の物を追っている表面的な書ばかりのような気がするのも気のせいでは無いはずである。現代人も特にわたしより若い年齢の人がこういった知的実践本を読む社会の未来は明るいことは間違いないであろう。
知的生活なブログ
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哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,6
採点
90点
項目
1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題
哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,5 の続き
儒教
日本に仏教が受容された当初は、精神的原理は仏教、政治的・社会的原理は儒教というルールが確立していたようである。しかし、その後儒教が真剣に考えられた形跡はあまり無く、時代の精神的雰囲気は仏教優位のまま徳川時代に移った。ところが、伝道の自由を奪われ、門戸制度などを通じて幕末の末端に組み込まれた仏教の精神的エネルギーは弱まり、儒教が日本人の精神生活において重要な位置を占めるようになる。
このとき採用された儒教は、朱熹等によって編成された朱子学ないし宋学と呼ばれる新儒教である。それは宇宙論・人生論・実践哲学を一貫した原理によって説明しようとした、スケールの大きな整然とした思想体系である。これは、これまでの陰陽説や五行説を新たな角度から再構築した物で、宇宙の始源の状態=無極としこれを「理」という言葉で置き換えた。そして、この「理」を万物に内在させるためには「気」がいる。この「理」と「気」とによって人間性の問題も説明するのである。
朱子学に続いて徳川幕府の日本に影響を与えたのは、王陽明によって始められた陽明学である。これは、自己の内的生命の要求にかない、理論と実践がぴったり合った思想体系の成立を要求する声に答えたものである。また、陽明は知行合一を説いた、ここでいう知は政治とか道徳とかの人間の実践に結びついた知に限られ、実践に裏付けられた知だけが真の知であり、ここにおいてはじめて知行が合一する。このように、人には真に知り行う能力があると考え、この能力を良知良能と呼んだ。
ところで、日本においての儒教の受け取られ方として重要な意味を持つのは、日本の古学と、儒教を武器として自由に思索を始めた自然哲学であろう。これらの古学者の中で重要な意味を持つのは、伊藤仁斎とは荻生徂徠である。前者においてはヒューマニズムの思想として、後者においては政治思想として、また古文辞学という学問方法論として重要な意味を持つ。
徂徠以来、儒教は真理を求めるための、また真理の説明のための、道具として使用され始める。とくに三浦梅園は今までになかった思想家のタイプであろう。彼は言う、「数限りの無い人が思想を費やしながら、なんら隠すことなく自己を示している天地の条理を、なぜ見うる人がいないのか。それは、見慣れ聞き慣れ触れ慣れて、何となく癖が付いているからであり、物を怪しみいぶかる心が萌えないからである」と。また、「この慣れ癖を引き起こす最大の物は書物である。しかし、われわれが師とするものは書物でなく自然でなくてはならない」と。
その後、明治になってわが国の哲学を高めたのは『善の研究』で知られる西田幾多郎である。彼において、仏教と基調とする東洋の智慧と、西洋の哲学が出会った。もちろん西田の思想は不十分である。しかし、対象化されえぬ真の自己を深く掘り下げ、その底の創造的世界を発見したかれの思索の方向は、人類がこの後、共通の財産とせねばならないものだろう。
私見〜本書が「哲学のすすめ」たる所以〜
いきなりだが、NO,2以前とNO,3以後の内容の濃さが違うのは、途中で方針が変更したからであるが、特に直す気も無いので突っ込みは無用であるということにしておこう。
さて、本書が哲学のすすめたる所以というのはどこに存在するのであろうか。それは、「哲学」というものを全体的に包括している本書の内容自体もさることながら、哲学初心者にはうってつけと思われる、ある程度の内容の難解さが備わっている点であると思われる。
それはどういうことかというと、本格的な哲学書というのは抽象的な文字が主体であり、意味が捉えにくいので根気よく読まないといけないことになるだろう。また、時には書かれた時代の背景をも考慮して読まないといけないものだから、初心者がある程度の理解を伴って読みきろうと思ったら時間をかけるのも厭えないものである。
そこにおいて本書も例外無く、意味の取り難い抽象言語がばんばん出てきて読み切るのに苦労させられた(本書においては、年代別の記述なので時代背景を考える点はある程度緩和された)。本書のような入門的位置づけにおいてもこの様な状態なので、仮に本書を読みきれない人が、実際の哲学書を読むのは簡易なものを除けばまず無理である。
要するに、本書は無碍に文体を簡易に示すことはやめて、初心者に哲学を学ぶ厳しさを教え、これぐらいのレベルなら読みなさいと指導してくれているのである。
まさに初心者には最適な書といえるが、書店ではまず売ってないと思われるので、哲学に興味がある人は図書館か古本屋へ今すぐ読みに行くべき書である。
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哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,5
採点
90点
項目
1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題
哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,4 の続き
東洋の智慧
我々は、東洋人でありながらその東洋の宗教・哲学・思想のあまりの無知さには驚くばかりである。そこで、「東洋の智慧」と題して日本に関係の深い仏教・儒教について書いておくことにする。
仏教
紀元前1500年ごろ、アーリア人はインドに移住し自由な思索にふけった。そして『ヴェーダ』の神話的思考からやがて『ウパニシャッド』の形而上へと移っていく。『ウパニシャッド』の思想でもっとも重要な意味を持つのは、大宇宙の原理としてのブラフマン(梵)と個人我としてのアートマン(我)の究極の一致の思想であろう。
その後、紀元前500年ごろシャカ族の王子としてゴータマ・ブッダが生まれる。彼は29歳の折に出家して苦行の末悟りをひらいた。その原始仏教の特色は『ウパニシャッド』のアートマン(個人我)を実態視することを否定して無我を説き、六師外道の極端な快楽主義や禁欲主義に反対して中道を説いたところにある。
この釈迦の考えかたは、次の四諦(四つの真理)の説にまとめることができる。
- 苦諦―人間の生存は苦しみであるという真理。
- 集諦―われわれの苦悩は、煩悩、とくに妄執にもとづいておこるという真理。
- 滅諦―妄執を制することによって苦しみを滅しつくした涅槃が解脱の理想郷であると言う心理。
- 道諦―この苦しみの止滅に導く修道法は八正道にほかならぬと言う真理。
この八正道とは、(1)正見―正しい見解(2)正思―正しい思推(3)正語―正しい言葉(4)正業―正しい行為(5)正命―正しい生活法(6)正精進―正しい努力(7)正念―正しい想念(8)正定―正しい瞑想、の事である。
釈迦の滅後、約100年たったころ、保守的伝統的な上座部(小乗)と進歩的な大衆部(大乗)に分かれた。特に大乗仏教においては、龍樹が現れその著書『中論』においては、自己と存在の絶対否定を通じて展開する真如といういのちの風光の世界を、論理的に表現したものである。
龍樹の中観思想と並び二大潮流をなすのは、無着、世親により大成した唯識の哲学である。この派では、世界は観念の表象であり、存在するものはすべて意識の所産だという。また、無明と解脱の他に、それらを媒介する縁起の世界を定立し三性説を唱えた。
その後仏教はインドから中国に伝わったが、そこでは文化形態の類似点がほとんど無く困難を極めた。しかし、それを克服して仏教は中国に広まったので、ある屈折と創造が生じた。この中国仏教を代表するものとしては天台と華厳が存在する。
天台の思想は、三諦円融・十界互具・一念三千の考え方に示されている。三諦円融において空・仮・中の三つの真理を円やかに調和を保って融合する。また、十界互具において地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天上・声門・縁覚・菩薩・仏の中の一界が他の九界を相含み、この十界互具により百界が成立し、そこからさらに十のカテゴリーと三つの世界に分け、これを乗じた三千がわれわれの一念にそなわることを一念三千とする。
華厳の思想は事事無礙法界の縁起の世界であり、これは個物がその独立性と創造性を十分に発揮しつつ、しかも大きな連体制が実現する世界である。このように、個人の絶対的自由と、個と他の個とのあいだの調和や連帯性との共存する世界の実現は人類最高の目標であるが、事事無礙法界の世界はわれわれの究極のすがたを示していると言える。
中国や朝鮮から仏教を受容した当時の日本は、高度な自覚的思想を形成していなかったので、比較的スムーズに仏教が入ってきたと言える。しかし、高度な自覚的思想は無かったとはいえ、日本文化の基本的性格は既に形成されていたので、日本的変容を遂げた。
その中でも空海の思想はスケールの大きさ、不変的性格において格別である。彼の思想は究極的実在、究極的価値―大乗仏教のいわゆる法身―がそのまま感覚的存在として捉えられるとし、われわれの感覚・言語・思による行為の純粋化を通じてこれと一致するという考えである。そして従来の立場を顕教といい、これを密教とした。また、人間の精神の発展段階を十に分けて説明し、真言密教の教えにおいて究極の位に達する。ここから出てくるのは、即身成仏の思想であり、われわれは真言(マントラ)を誦することにより、実在と感応道交する事ができるとされる。
空海の同時代、日本天台の創設者である最澄は完成を見ないまま死んでいった。その後、天台と密教の融合において成り立つ日本天台を完成させようとしたが、末法意識の高まりとともに、日本天台の一部である浄土教の思想が独立の物として発達することになる。
この浄土教は法然により大きな飛躍を遂げた。彼は仏陀の本願を選択し、信仰の純粋のみを救済の条件とした。当時の悟りのためには行と戒律を守ることが必須とされていた仏教から反撃をこうむったが、このように信仰の絶対性のみを要求する単純な教えは民衆の中に浸透していった。さらにこの道を親鸞が一歩進めることとなる。この様な法然や親鸞における「選択の思想」は寛容的であり、他の人々の可能性を否定しなかった点が特徴的である。
ところで、禅の道を深く進めたのは道元である。彼は、自己実現の方法として仏教の伝統に従ってひたすらな坐禅(只管打座)を説き、それ自身を究極のものとしていわゆる修証不二であるとした。そこには、有無を超えた龍樹の中道の世界があり、彼の一見単純に見える思想は大乗仏教の本質を捉えたものであった。
哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,6 へ続く
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哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,4
採点
90点
項目
1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題
哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,3 の続き
現代の哲学〜体系の否定とさまざまの課題〜
ヘーゲルの死後、彼のような体系的な哲学は寧ろ、批判されることとなる。それは、諸科学の発展に応じて思想の態度や学問に対する考え方が変貌したからである。その様な体系を解きほぐした思想家たちを「青年ヘーゲル派」と呼ぶが、その中でもフォイエルバッハの哲学の根深さは群を抜いている。
彼の功績は、哲学をば神的絶対者を原理とし存在する学から人間の学にひきずり下ろしたところにある。だから、彼は新しい哲学を「人間学」と呼ぶ。それは、「人間を越えたもの」への従属から自由になった「人間のことば」と訳すべきものである。
ところで、社会的人間の現実学を展開したのはマルクスである。彼の主義哲学として挙げられる特性は、「弁証法的唯物論」すなわち自然・歴史・社会を物質的過程として弁証法的に展開するものであった。また、彼は歴史の運動とは基本的に内容(生産力)の発展に応じ形式(生産関係)が変革されてきたことだと言い、これを「唯物史観」と呼ぶ。さらに「資本論」を著し、現代社会の内的矛盾を原理的に論証した。
自分が有限者であること、自分が単独者であること、この自覚を差し置いていったい主体性とはなんでありうるか。ゼーレン・キュルケゴールはこの問いから出発する。彼の「実在」としての立場からの主体性の論理により、質としての個人的・論理的究明をする立場は、バルト・ブルンナー等の弁証法神学やヤスパース・ハイデッガー・サルトルに受けとられた。特にサルトルの実存主義思想はきわめて社会的に積極的な態度であった。
生の哲学と言えば、「ツアラツストラ」を著したニーチェがいる。彼の思想は、ソクラテス以来の形而上学をすべて生を否定する思想すなわち「ニヒリズム」とし、このニヒリズムに徹する事で生の否定から肯定へと価値を転化させることを説く。
また、歴史上の生を自分の生で捉え、現在の自分が歴史に意味を与えるのだという、歴史学を精神科学に意味づける事をデュルタイにおいて確立し、進化論を主体化して自発的生命こそが真の実在であるという、魅力的な生の形而上学をベルグソンが示た。また、この根源的な生へ帰還して再生を帰すべきこの指針は広くヨーロッパに影響を及ぼし今日に至る。
19世紀中頃になると「カントに帰れ」という新カント派がおこることとなり、その中でもリッケルトは、自然科学と文化科学の学問的性格を明確にしようとした。その影響を受けつつ、社会科学的認識の客観性を追及して、歴史・社会の認識方法論を立て、自分も経済史・経済社会学・政治史等で実り多い成果を挙げたマックス・ウェーバーは今日にも強い影響を持つ。
また、プラグマティズムを哲学として確立させた人がパースであり「概念の対象」が、「実践的影響」を持つと考え得る「効果」が問題であった。その後、ジェームズ・デューイへと発展しアメリカの社会生活の調整に大いに役立つ事となる。
その後、科学哲学は多岐にわたって発展するが、近年では例えばポパー・エイヤーの諸著作を見ても、つねに哲学を学問論的に再検討すべく要請を続けている。
哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,5 へ続く
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