日記
無題(七月二十日の雑記)
先月から「Yahoo検索」で飛んでいらっしゃる人数が「google検索」で飛んでいらっしゃる人数より多くなったのは何故だろう?と思いながら、その影響からかどうかは知らないが来訪者数が先月ぐらいから微増になっているので、ブログを更新する優先順位は私生活の中でかなり低いとは言えせめて週一ぐらいの頻度で更新しようかと思い立ちこの様な意味の無い雑記を書こうと思った次第であります。
しかし、そもそもいくらブログ更新の優先順位が低いとは言え、あまり時間の掛からない書き掛けメモ & 論理性が皆無な日記と超個人的な格言 (半永久的)やサイドバーはちょくちょく更新しているので、ブログの状態が恒常的かといえば実はそうでもないのだがと思いながらも、一般的に「ブログが更新される=新しい記事が出」されるというブログ界の暗黙の了解が成り立っている以上傍目から見たら「なんだこのブログの管理人は滅多に更新しないのか」と思われても仕方が無いと言えば仕方が無いのだが、それはそれで何とも誤解されている気分なのでここに弁明の意を込めて、「記事は更新されていないが実はブログの事は日々気にかけているんだよ」と表しておきたいと思う。
さて、上記のようにサイドバーは日々更新されていると語ったがその中でも最も更新されているプラグインは何かと言うと買ってきた本を「入荷本」として紹介しているところである。これを逆説的に言うとかなりの頻度で本を仕入れていると言う事になるのだが、そういえばここのところ通帳を見てないなと思い、先日預金残高を確認してみたところ恐らく大学生活始まって以来のマイナス収支になっていた。それを見て今月は使いすぎたなと反省すると同時に、では今やそれだけ金の使い道になっている新聞や本を元を取るぐらい有効活用をしているかというと甚だ疑問なのである。もちろんある程度流し読みにしろ精読にしろ読む事でインプットには活用されているのだがではアウトプットはというと私的にノートに問題を解いたり和訳したりするぐらいであり、やっぱりブログに書くことで考え方を発信するぐらいでないと元は取れないのではないのかと思い更新頻度を上げようと思うがそれでも他のすべき事に圧されていまいち更新出来ない。では睡眠時間を削ってまで更新しようかというとどうも雑な仕事になりそうでいまいち気が向かないし、なにより此処のところ睡眠に対する考え方が変わってきて、ここでは詳しく書かないがあまり削るのは良くないらしいと思われるいくつかの証言を帰納的に考えてみたりしているのでそういうわけで睡眠を削るのはあまり出来ない相談なのである。
そういうわけで、ちゃんと本は読んでいるわけだから十分記事にするに値するであろうネタはいくらでも浮かんでいるのだが、じゃあ「こんなどうでもいいような雑記をかいてないでそのネタを書け」と言われても、やはりそういったネタはこの様に煩雑に書くのでは無く少し堅めに書きたいので、そのためにエネルギーを使うのは熱力学の法則?から言ってもここでエネルギーを使って他所でエネルギーを使えないのは少々困る事情がこちらにもあるわけである。そうはいっても書かないよりは書くほうがましという見方もあるが、寧ろ雑に書くなら書かない方がましという見方もあったりしてただのイタチゴッコに過ぎないのはどういうわけだろう?
さて、以上のようにブログを更新する態度が一様に決まらないのはどうなのだと思うのだが、結局は今まで道理の更新態度でこれからも存続していこうと思いつつ、「うちのセブンイレブンは24時間営業しないわ」と宣言して本部と対立し見事に潰れる事になった前のバイト先の姿でも最後に一目見に行こうと思い立ちこの記事を閉じる事にしたいのであります。
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「ふんだ。男なんかどうでもいいわ。恋愛感情なんてのはね、一時の気の迷いよ、精神病の一種なのよ」 (書き掛け)
出典元
涼宮ハルヒの憂鬱 175ページ
物語の主人公であるキョン(男)が「普通の高校生らしい遊びを開拓してみたらどうだ」と涼宮ハルヒに聞いた時に彼女が答えた一言。
解説
この文は、本作において涼宮ハルヒのスタンスを最も端的に著している一言だと思うのだが、作者は作中で彼女に自分の目標以外には興味を示さないという一貫した論理を保持させる様を描こうとしていて(特に初期)、またそれが魅力的でもある。
ところで、この恋愛感情を精神病と捉える考え方について考えてみると、多少意味は違ってくるが例えば性的倒錯(Wikipedia)を思い出す。性的倒錯とは性欲の対象が通常ではない事(つまりで異常である)に対する表現であるが、仮に恋愛感情を精神病として異常なものと捉えるとすると性欲の対象的倒錯というものが存在するのだろうか。
〜
ところでこの恋愛を精神病と捉える考え方は普段とは違った心理状態を説明するための考え方にもなり得る。
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(YOU TUBE)20歳くらいの奴が高確率で反応するもの(ピヨ速)
参照リンク
懐かしくなったら負け 20歳くらいの奴が高確率で反応するもの
元ネタ
わたしは丁度二十歳でまさにこの動画のコンセプトの対象年齢にぴったりなのだが、懐かしいのと同時に懐古主義的な意見を主張したくなる人の気持ちが少し分かったような気がする。確かに、「懐かさし」というのは過去を思い出すと同時に何か過去が肯定的なものであるかのような感情にさせてくれるものである。懐古趣味なんていう言葉もあるくらいだし、懐古物に対して高値を出す「懐古市場」は結構な規模があるんじゃないかと思うが(同時にその性質上数字としては計り難いとも思うが)今度調べてみよう。
ところでこの映像の懐かしさをあえて言語で表現すると、十歳前後のあの家と学校の周りの狭い世間しか知らないで、テレビに映し出される世の中はというと何か別世界のような、また仮にテレビの中の世の中が存するのなら子供向けテレビで放送されるようなような「善人」で溢れかえっているものであると本気で信じていたようなあの純真な気分が蘇えって来る。そんな哀愁漂う感慨深い時間を過ごせるものであるから二十歳前後の特にテレビ好きだった人は一見の価値があると思われる。(逆に言えば子供時代から世間を知っていたような大人びていた人は懐かしくも何とも無いかもしれない。)
参考までにどの様な映像が流れるか懐かしかった部分を掻い摘んで紹介する事にする。
<ここから下は完全に自己満足(オナニー)記事 ↓>
しかし10代の頃は平和だったなぁ…
ぱわふるぱわふるぱわふる全開なぁみさえ〜 ♪ (クレヨンしんちゃん初期)
星がきれいに出てる夜は〜 明日天気になる ♪ (おばけのホーリー)
楽しいことならいっぱーい 夢見ることならめいっぱーい ♪ (ちびまる子ちゃん初期)
カクレンジャー 忍者 忍者 ♪
ありがとーさよなら友達〜 ♪
いつの事だか〜思い出してごらん ♪
北風小僧の寒太郎〜 ♪
夏休みはやっぱり短い ♪
練っておいしいねるねるねるね ♪
街は21世紀うんぬん (天才テレビ君)
アリス探偵局
SOS SOS ほらほら呼んでいるわ〜 ♪
はまちハウマッチ〜 このまちだいすき〜 ♪
ボンバーマン2
星のカービィ スーパーDX
ロールプレイングゲーム やったこと無い人も〜 ♪
だんだん心惹かれてく〜 ♪
WOR WAR TONIGHT ♪
ピカチュウ カイリュウ ヤドラン ♪
仲間の数はそりゃ 絶対 やっぱり かっちり ♪
久方ぶりの世紀末 ♪ (コナン初期)
ずーれた間ーの悪さもー ♪
なんでもなーいなんでもなーい 君の笑顔を ♪ (あんずちゃん)
WHATS NEW ENTERTAINMENT
虫虫Q ♪
カーマカーマカーマカーマカマカミリア ♪
月明かりふんわり落ちてくる夜は〜 ♪
今日から一番たくましいのだ ♪ (ぬ〜べ〜)
唇と唇目と目と手と手 ♪ (るろ剣)
団子三兄弟 ♪
にこにこぷん ♪
アルフ
のりもの あつまれ いろんなくるま ♪
むしむしばばば むしばばば ♪
まどを空けましょ ルルル ♪
さいは投げられた ♪ (ポコにゃん)
ノンタンといっしょ
小さな宇宙がまた一つ増えた ♪
走る街を見下ろして ♪
ニャッキ!
ロート子供ソフト ♪
ハートを磨くきゃない ♪ (飛べイサミ!)
青い空の下で ♪ (中華一番)
いざ進めやキッチン 目指すはジャガイモ ♪ (キテレツ大百科)
はじめてのチュウ 君とチュウ ♪
音楽ファンタジー ゆめ
つよししっかりしなさい!
あぁ 見たことも無い 今日が僕に始まる もう眠らない ♪(ドッキリドクター)
おしゃべりなあのこがほら 自転車でやってくる ♪
アーラよ出前一丁 ♪
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三次元(現実世界)との親縁〜概念獲得論・集中力一定量仮説〜
(未推敲)(書き掛け)(支離滅裂) 注意
4/11
本によって知識を吸収しているだけでは「頭でっかち」になると言われがちだが、果たして二次元(主に字)と三次元(現実世界)には実際どれ程の乖離が見られるのであろうか。
〜
6/14
取り敢えず字だけの知識を入れてもそれ程意味があることでは無いと言える。というのも、字だけなら何とでも言えるので自分の目で見て確かめないとギャップが激しい事になるであろう。しかし、語彙力を増やす事で概念を獲得したり読書による創造により予め現実への対応性を作っておくなどしてある程度の知識基盤を作って行動しないと理想と現実とのギャップが激しいこともまた事実であろう。
よってある程度の知識基盤→現実のギャップとの調整→微調整が望ましい形であろう。
4/11
ところで、この二つの(両極端の)主義者の間には強固たる壁が存在し、知識があり論理的に物事を考えれる物は本能的な者をばかにし、現実主義的な体を動かしてなんぼと思っている者は勉強ばかりしている者を馬鹿にする。
〜
6/14
→この点に関しては構造構成主義研究と経済学への理論的応用で扱う事にする
4/11
それならば、二次元と三次元の狭間である美術やすべてを包括しうる自然に立ち返ってみるのが良いのではなかろうか。
〜
6/14
「美術と自然」に関してはもうちょっと先伸ばしする事にする。
4/11
もし仮に二次元的な行いも三次元的な行いもそれぞれ認めるとすれば、凡人と天才(何かを成し遂げた者)との違いとは何であろうか?
視点の違いだろうかはたまた何に対しても好奇心を持ち頭がフルに働く人であろうか。
6/14 (要修正)
おそらく後天的な凡人と天才の違いは能力(C)変数「知識量(K)と行動力(B)」と目標(A)と変数「集中度(E)と時間(T)」の二式
C = K + B
A = E × T
によって決まる。
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能動的勉強法〜勉学の根源的娯楽性〜
(「下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち /内田 樹」読んだらもうちょっとましな文になるかな)
勉強を能動的にするとは―そこには世間一般的な勉強に対する姿勢である受動的な姿勢(〜が勉強を押し付けてくるからやらなくてはならない・世間に対する評判が良いから〜大学を受けよう等)とは存在を異にする。(初歩の初歩の段階ではそれでも良いだろう。)
その姿勢の差異おける弊害は端的に勉学に対する好悪感情となって現れる。というのも人間は一般的に能動的な態度で望む事柄に対しては自己正当化のために無理にでも好感を持とうとし、受動的にやらされる事柄に対しては反射的に拒否反応が起こる生き物であるからである。
上記のことは例えば自分から話し掛けるか話し掛けられるのを待つかという事例を考えてみれば想像がつく。自分から話しかけようとする場合においてはそこsには精神的に”好”の感情が生じているが、話しかけられる場合においては反射的に”嫌”の感情が混じっていないだろうか? この段落は微妙
そもそもアリストテレスは「すべての人間は生まれながらにして知ることを欲する」と説いたものだが、そこには生きていく上で困難性を排除するための知識欲と五感で感じている現象を解明するための知識欲が介在していると考えられる。そしてどちらの知識欲も生きて行く上で自然的に触発されるのではないだろうか。しかし、その触発が起こる前に知ることを嫌いにさせるようなまたテレビを無意識的に見るといった特に考えなくても勝手に情報が入ってくる受動的姿勢がはこびる事が問題なのではなかろうか。
社会欲との関連について
(中身)
しかし、だからといって幼少時代の教育が悪く学生時代に勉強がどうしても好きになれないからといって落ち込むことも無いだろう。この世には勉強以外にも価値を置くべきことは山ほどあるのだから。
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限界睡眠性向
限界睡眠性向とは…睡眠一時間に対して何時間起きていられるかという指標(ある定まった時間を睡眠時間で割った数)
例題
1、健康を保つとされている睡眠時間…24/7≒3,4
2、四時間睡眠法…24/4=6
3、みのさん・ナポレオン…24/3=8
(断続的に睡眠をとってるのでもう少し多いという説もある)
4、ここ二日の自分…48/4、5≒10,67
(10オーバーはさすがにキツイ^^;
というのも、言うなれば「1時間の睡眠で起きている10時間分の休息を取っている」ということになるからである。
しかし、この後気を抜いて5時間寝てしまうと一気に限界睡眠性向は約5,58まで下がってしまう。)
なおこの指標においては遁減の法則が成り立っているので、特に睡眠時間が少ない場合においては傾きが急なので注意が必要である。
限界睡眠性向
24
↑
12 超人
8 人類最高レベル
4,8 人生を真剣に生きている人
3,5 凡庸な生活
2 堕落人生
↓
1
問題点
1、(特に短期間において)起きた時点で計測し始めるか、寝始めた時点で計測し始めるかで議論が分かれるところである。(誰と?)
2、もちろん起きている時間によってある人の生活水準が決まるというわけではないので、この指標のみで生活水準を計るのは危険である。
3、Googleで「限界睡眠性向」検索してもこのブログしかヒットしない。
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虚無論
例えある文章を書いてみたところで、所詮それは過去に誰かが書いた事と類似していて、またこの世界を構成するすべての事象の中においてほんの一粒でしかない。(もちろん書くことで記憶と記録に留める事に多少の意味はある)
ある事に熱中してみても、それは他の人から見たら没個性的な事でしかなく、自分自身でもよく考えてみたとたんに熱中している事が馬鹿らしくなり醒め切ってしまう。
ある低次の欲望のためにがんばったところで、次から次へと高次の欲望が生じてきて一向に満たされることは無い。(そうならないためにも、諦めとは違うある一定の水準で自動的に満足の状態になる事が大切であろう)
たとえある者をすばらしいと賞賛してみてもそれは偏った見方に過ぎず、また案外それと類似した能力を持つものは多数存在するものである。(つまり運と押しが大半である)
また、一部を除くほとんどすべての者が平凡で普遍的な能力や才能しか持ち合わせていない拘らずその凡庸な個性を認められんがために必死であり。(そうなるとある種の凡庸レースになってしまう)
だからといって何もしなければ退屈で、しかし倒れるほどは頑張りたくも無くて。
特に生きていることが苦痛でもなくて。
それでも(必死に色を付けようとするが)色褪せた一日は虚無の渦へと…