日記

Twitterに関する雑感と読書日記 楽しみの社会学/「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ

posted in 06:17 2010年07月01日 by 涼微
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ここ数ヶ月はブログを書かず何か書くとしたら、取り敢えずTwitterに書いてきたわけだけれども、140字はあまりに窮屈すぎる!というかそもそもあまり真面目な内容ばかりを書くのに適した場所でもないとは前から薄々気付いてはいたのと、それとHTMLを使って書く方が視覚的にもいいやと思ったのでこれからは何か書くとしたらブログに書いていくことにした。

何かを書いて公表する以上、他人にどう読まれるかを全く気にしていないということはないのだけれど、何か文章を書くことが自分のためにもなるならば、それはTwitter的なフローな場に書くよりもよりストックな場に書いた方が良いし、それと主にブログで書くよりTwitterで書く方が合っているのはどういった人たちなのかについて考えると、あまりフォロワー数が多くない人にとっては交流の場として、そしてある程度フォロワー数が多くなるとそれプラス宣伝の場として使う人たちではないかと思うので、そのどちらでもなければブログで書けばいいんじゃないのと思った次第。

もっとも、別に交流が嫌いとかそういうわけではないのだけれどあの140字という限られた字数の中で交流しようとするのはそもそも誤解を生じさせやすく、きっちりと意見を書こうにもあまりにも窮屈なのでいまいちreplyを飛ばそうという気も失せてしまう。

とはいえ、別にブログとTwitterのどちらを使うかという二元論で語る気もないので、またTwitterに面白さを見いだせたら使う頻度が高まるかもねという程度のお話であり、特にどこかに固執する必要もないとは思っているし、そういった態度は発想も固まりやすく危険だ。



楽しみの社会学
書籍名
人間の動機づけに関するほとんどの理論は、生理的に楽しい状態は限られたものでしかない、という仮定にたつ「欠乏モデル」に基づいている。このモデルによれば、行動とは単に基本的欲求の充足へと志向する先天的、あるいは後天的な一連の反応にしかすぎない。 (中略) フロイトにとってリビドーは、すべての快楽の源泉であった。しかし、社会生活が要求するものと、リビドー的欲望とが葛藤するところから、文明にとって不満は宿命的なものである。 (中略) しかし、遊びの研究は、動機づけに関する異なった図式を提起する。人は閉鎖モデルが予言する、いかなる報酬も生まない数多くの活動に没頭している人びとに出会い、やがて、ほとんどどのような目的や経験も楽しいものになり得ることを認識しはじめる。

この辺の理論に関しては不勉強なのですけど、「欠乏モデル」とフロイトのリビドーのつながりはあぁそういうことねと思い、それと同時に何か欠乏していないと快楽が生じないのは直感的にずれてるよなと思った記述。


「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ
書籍名 普段、ニュースで目にする様々な社会調査に対してどういった観点から疑っていけばよいのかという視点を提供してくれる良書。自分も全ての社会調査に対して適切に誤っている点を指摘できる自信はないが、それ以上に調査結果を鵜呑みにしてしまう人が多く、まっとうな方法で調査した結果を公表するよりも「ウソ」の調査結果を公表することが得だと分かっていて意識的にそうしている人が多数存在していると思うと何ともいえない気分になる。

そしてその際に取れる態度は、自分も知識を付けそういった悪用する流れに乗って社会調査を利用しようとする態度とできるだけ多くの人に調査結果に対するリテラシーを啓蒙して悪用しても得にならないように努めようという態度があると思うのだけれど、どちら側に立つかは個人の価値観やらどうするのが自分にとって得かなど色んな思惑が働くのだろう。こういった行動に関してはゲーム理論で分析できそうな気がする。

それにしても、税金を無駄遣いにしてまで自分達の都合のいいような調査をしようというのは何ともひどいものだ。「カネ」が動く状況では恣意的な思惑が多分に働いている。

三ヶ月ぶりの更新!とその間の事柄

posted in 21:02 2009年04月17日 by 涼微
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気付いたら前回の更新から三ヶ月も更新していなかった!
オンライン麻雀戦術・牌譜検討&雑記ブログというブログは先月辺りまで合間を縫って更新していましたが、麻雀熱も下火になったので麻雀から離れて他の事をしようと思い立ってブログの更新からは遠ざかっていました。
これから頻繁にこのブログを更新していくかは未定ですが、何か書きたいことがあったらたまには更新していくかもしれません。

この三ヶ月で読みかじった本&漫画
ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版
ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

脳のなかの幽霊 (角川21世紀叢書)
脳のなかの幽霊 (角川21世紀叢書)

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

ONE PIECE

この三ヶ月で一番面白いと思った仮説
受動意識仮説
実は意識は単に無意識に付随しているものではないか!

そして、この三ヶ月に出会った素晴らしいインターネット上のコンテンツについても時間が許す限り言及していこうと思います。


アフィリエイト(ASP)登録の有用性(広告を知る)

posted in 16:51 2008年12月19日 by 涼微
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昨今では、アフィリエイトという言葉はウェブ上に氾濫してどこでも見かける事が出来るので、インターネットを利用している人ならば、もしかしたら一度は聞いた事があるのかもしれません。アフィリエイトというのは簡単に説明すると、自分のサイトに広告を出して、その広告をクリックするかもしくは売り上げが発生した報酬に広告主からお金を貰う仕組みの事です。

そして、アフィリエイトというものを多くの人が知ってしまった事によってアフィリエイトのみを目的としたサイトが乱立するようになってしまったので、今や余程の技術や知識が無い限りは、ちょっとした労力をつぎ込むだけでは大した金額を稼ぐ事は出来なくなってしまいました。

そんな少しの労力では大して稼げなくなってしまったアフィリエイトですが、もしあなたがサイトを運営しているのならば、ASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダー)に登録するだけなら無料なので、ちょっと登録してみてそのサイト内をただ単に色々見てみるだけでも実はかなり有用な事だったりします。

例えば、自分のサイトを持っていれば殆ど審査に通るASPにA8.netというものが有ります。取り敢えずこのASPに登録してみて、どんな企業や個人が広告を出しているのかという事や自分がその商品やサービスを紹介したらいくらぐらい貰えるのかという事をじっくり見てみましょう。そうすると、例えばアフィリエイターにいくらぐらい還元しても広告主は儲けが出ると思ってるのかだとか、ある商品やサービスをどの様な広告を打つ事で売り出そうとしているのかという事など、結構"気付く"事が多いです。

そして、そうやって色々と広告主を見て廻っていると自分が欲しいと思ったり利用したいと思う商品やサービスを見つける事があるかもしません、そういう時に自らがASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダー)に登録している人は自分のアフィリエイトコードを通してその商品やサービスを買ったり利用したりする事で、安く済ませる事も出来る場合があるのでお得なのです。

もし、A8.netだけでは不満だったり、もっと他のASPも見てみたいという人がいるのならば、あまり審査が厳しくない所ではアクセストレードJANetトラフィックゲートをそして少し審査が厳しいところでバリューコマースリンクシェアに登録する事をお勧めします。アフィリエイトの広告は大体この6つのASPに集まっていますので取り敢えずこの6つのASPのサイトを見てから、他にももっとマイナーな広告を見たくなった時にその都度また新しいASPに登録すれば良いと思われます。


本を読まないで生きてきました?

posted in 12:44 2008年12月05日 by 涼微
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本を読まないで生きてきましたですって?めでたい頭だな。

俺なんか数百冊分の文章を読んでも分からない事だらけだぜ。

もし必要な事があれば人に教えて貰うだって?

自分に必要な事が自分が考えうる範囲で分かると思ってるの?

というか、他人が百パーセント完璧に教えてくれると思ってるの?

少しは自分の了見の狭さに気付け!

(いや、自戒的な意味合いで)

苦境を乗り越えられる人間と乗り越えられない人間の差

posted in 02:10 2008年12月05日 by 涼微
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そんな状況でも、他人のせいにせずに自分の状況を楽しみながら活動出来るかそうじゃないか、これは恐らく間違いないです。というか恐らく唯一の方法です。

もし疑うなら、ツイてる!等の斎藤一人氏の書籍や404 Blog Not Foundさんの赤木智弘たちに足りないもの - 書評 - 若者を見殺しにする国を読んでみると良いですよ。または、人が集まってコメントが盛んなブログとあまり人気のない愚痴ばかりのブログを比べながら眺めてみると良いです。

そして、成功者のふくよかな顔と苦しんでいる人の貧相な顔を思い起こしてみながら少し考えてみてください。

どちらの人間に豊かなアイデアが浮かぶと思いますか?そしてどちらの人間に人が集まりお金が集まると思いますか?

それでも、いやいやそんな単純な事じゃないんだと思っている人やそんな笑っている余裕なんて無いんだという人は残念ですけどご愁傷様だと思います。

逆に、あぁそういう事かと気付いた人は、明るく他人に慕われるような人間を目指してみると良いです。最初、成果が出なくてやめたくなっても続けるんです間違いなく人生は好転しますから。

今現在苦しんでいる人がいたらこの記事を元に考え方を変えて好転に向かってくれればいいですね。

もしかして偽善に見えるかもしれないですけど、暗くなりがちな世の中こういう事を伝達していくのが実はかなり大事な事なんじゃないかなと最近思っているんですよ。

眉間に皺を寄せて「世間は厳しい」と言っちゃうタイプ

posted in 15:03 2008年12月03日 by 涼微
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え?あなたそんな歳になっても、眉間に皺を寄せて「世間は厳しい」と言っちゃうタイプでしたの?それは残念だわ〜。

じゃあ逆に考えて、イチロー選手や斎藤一人氏や桜井和寿さんや山内溥氏や近藤淳也さんや小飼弾氏や大前研一氏やアルベルト・アインシュタインやさんまさんやアーネスト・ヘミングウェイや関孝和氏や茂木健一郎氏やルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインや佐藤優氏や養老孟司氏や野矢茂樹氏や司馬遼太郎氏やレオンハルト・オイラーや中田英寿選手や澁澤龍彦氏やウォーレン・バフェット氏や京極夏彦氏やニーチェや勝間和代氏やバラク・オバマやプラトンや釈迦や野口悠紀雄氏やバートランド・ラッセルや柳井正氏やポール・マッカートニーや谷川流氏や東野圭吾氏やレオナルド・ダ・ヴィンチや孫正義氏やロジャー・フェデラーや桑田佳祐さん柳田国男氏や岡本太郎氏や寺山修司氏や川島隆太教授やビル・ゲイツ氏や北野武氏や桜井章一氏や松下幸之助氏やレフ・トルストイや小泉純一郎氏や美空ひばりさんやカール・マルクスや麻生太郎氏やジークムント・フロイトやマックス・ヴェーバーや山本浩二氏、等等がそういう事言うと思います?

つまり…そういうこと。


という文章が浮かんだけれども、寧ろ彼らは身を持って知っているのかな。ただ表題のようなネガティブな発言ではなくて、何か本質的なアドバイスを発するのではないかと思ってみたりします。

慢心の考察とやる気論理

posted in 04:11 2008年01月18日 by 涼微
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勉強のやる気という点でいえばここのところ去年の3月水準並に復活してきたので、ここでやる気の時間の経過とともに考察もしてみよう。

そもそも去年の3月以来続いていたやる気を損なわせた原因はなんだったのか、様々考えられるが恐らく一番の要因は”慢心”である。では、そもそもなぜ”慢心”が起こったのかと言う事を想起してみると、これは周りの水準につられてしまったからであろう。少しでも同年代の人と話したりインターネットを巡回してみれば飛び出してくる、「二十歳前後ってこんな水準だっただろうか?」と思っても仕方が無いような不明晰な言葉の数々に段々”慢心”していってしまったのだろう。しかし”慢心”の状態では出ないのが結果というもので、見事に去年後半から今月前半にあったいくつかのテストがあまり好ましくない結果に終わり反省する事となるのである(もっともこれは”慢心”してしまった事の反省でその時期にしていた事を悔いるのはお門違いである)。

ところで、よく考えるとわたしの人生”慢心”の連続である。少しでも良い結果が出ると過信してしまう性質をこの二十年間持ってきたが、恐らくそれは人生の初期において大多数の人が持っている性質であろう。いや、もしかするとある程度歳をとっても持っている人は多数いるのかもしれないが、少なくともわたしには多大な悪影響を及ぼしているであろう事がこの二十年間を見てみると分かる(もしかして欝気味になるのを防いでいるのかもしれないが)。

さてここで”慢心”を害のあるものとして排除し、次に昔考えていた二択問題を想起する。それは人生を出来るだけ楽に過ごすのが良いか苦労し続けて生きるが良いかという二択である。しかし、どうも色んな人の人生を拝見していると少なくとも金も無いのに何も活動しないで一定の水準の生活を保つと言うのは無理そうである。そこで、もし二択ならばここである程度苦労をするという選択を取るわけだが、実はここで苦労をしなくてもよいもう一つの選択肢がある。それは、”苦労”を”苦労”と思わない事だ。これは、一見難しそうに見えて実に簡単だ。なぜなら”苦労”は不変的ではなく可変的であるから、つまり自分の主観によってどうにでも出来るからである。少し前にはてブ界隈で流行っていた「努力家 対 一発屋」論争などするまでもなく、”苦労”を自分用にカスタマイズして成果をあげるように持っていけば良いのである。ただし、一つ注意しなければいけない事は体を酷使しすぎてはいけないと言う事だ。理由は簡単で過労で倒れてしまっては元も子もないからである。

さて、この理論でいけば勉強を一定以上する事などいとも簡単に出来る。わたしの場合は取り敢えず経済学・法律・数学・英語・文書力etcあたりを近いうちにある程度にしないとどうにもならないから勉強するのだが、これは人によって様々であろう。

それにしても前のやる気時期といい今回といい、多読したら何か書きたくなるのは自然の摂理に近いものがあるであろうと同時にその人の頭の中が動いている証拠であろう。

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