国家の品格
国家の品格/藤原正彦
国家の品格 (新潮新書) | |
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批判意見も肯定意見も出尽くしてるだろうから今更感が大いにあるのだが、わたしは大衆的に話題になっている時に乗っかるのが情緒的に(笑)嫌なタイプだから(天邪鬼?)かなり時期外れの今書評でもしてみよう。
論理それ自体にパラドクスが存在しまた論理には誤謬も多く含んでいる事は既存の事実だけれども、それを知った上でも論理絶対主義に陥っている人には再確認の意味を生じ得るであろう内容が第二章では展開されている。しかもこういった論理絶対タイプは結構自分で気付いていない事が多く、ある前提から結論まで辿る作業においてその各道筋が起こる大体の確率を計算していくと50%にも満たないない事は多々あるものであり、またその前提が間違っている事も多い。
さて、本書は「武士道」という情緒や形を根底に論理を組み立てるのが良いという主張なのだがわたし個人としては「大筋は」同意出来る。(内容自体は一方の主張(武士道精神)の良い点とそれに対する主張(合理的精神)の悪い点の羅列に終始して大して議論が進んでいないのでいまいちだが)この「大筋は」というのはその情緒や形の大事さを取り上げるにしても武士道よりもう少しましな思想があるのではなかろうかという事である。「ならぬことはならぬのです」なんていう言葉が通用するのはせめて十代の間だけで、著者も大事だとしているある程度の論理を身につければ、なんでだめなのか?と考える事は当然である。確かに情緒というか論理とはまた違った思想も大事だがわたしは寧ろ小さい頃から論理的な思考を身に付けさせた方が自分で考える力が発達し良いと思う。つまり、著者としては論理<情緒なのだろうが、論理>情緒でないとただ感覚的に物事を考える人間が多すぎてそもそも話しにならない場合が多い。
さらに、結局の結論が「数学者」として論理もへったくれもない過去正当化装置(少なくともわたしにはそう見える)としての懐古主義的な「武士道」というのはお粗末極まり無いのではなかろうか。(自分がやってきた事全否定というのはある意味凄い)というのも、藤原氏も世界を飛び回ってきた中で様々な考え方に触れてきた事だろう、それでも武士道的な情緒を前提に置くことが最善だと思ったという事は、その根底には「ナショナリズム」と「懐古主義」の影がちらついている。
ところでわたしは本書を読むより先にネットで大体の批判を眺めたのだが、本書を読んだ後に批判点を見ると本質を突いていない批判が多々存在する。本質を突いていない理由というのは、まず第一にいちいち部分的な批判をするだけで主張の本質を批判出来ていない、第二に本書の内容が論理を全否定して形や情緒のみを肯定していると思い込んでいる事から批判しているもの(つまりちゃんと読めていない)等々お粗末な批判ばかりで、ではなぜこの様に「便乗的」な批判をしてしまうかというとおそらく本書が大衆にも受けてベストセラーになったというところにポイントがあるのではないだろうか。というのも、本書を無理やりにでも批判して普段本も読まないような大衆とは俺は違うぞとでも示したい、それこそ本書で著者が言及している「自己肯定のための論理」に近い精神があるような気がしてならない。そういった人はもう一度本書の「大意」をしっかり捉えなおすべきである。
参考批判