哲学

ゲーデルからの人物相関

posted in 05:46 2007年06月25日 by 涼微
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参考リンク

松岡正剛の千夜千冊 『ゲーデル再考』

(以下リンクはすべて(wikipedia)

クルト・ゲーデルとは、「数学は自己の無矛盾性を証明できない」という不完全性定理を発表した事で有名な数学者であるが、この不完全性定理というのは当時数学を形式化すること、すなわちその証明を形式化することで、数学全体の完全性と無矛盾性を示そうというしたダフィット・ヒルベルトジョン・フォン・ノイマンの試みをを打ち砕くものであった。また、そもそも不完全性定理というのはアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドバートランド・ラッセルによる『プリンキピア・マテマティカ』を応用したものであったというのも興味深い。

ところでゲーデルはオーストリー=ハンガリー二重帝国に生まれ後にウィーン大学へと進んだ。その頃のウィ−ン大学ではハンス・ハーンによって設立されていたウィーン学団という協会がありゲーデルは関心を抱くことになる。そのメンバーにはカール・メンガー、フィリップ・フランク、オットー・ノイラート、ルドルフ・カルナップ、さらに客分としてカール・ポパーとルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインと先輩格のルートヴィッヒ・ボルツマンといった錚々たる顔ぶれが揃っていた。また、このウィーン学団は論理実証主義を標榜としていて、物理学・熱力学・数学・社会学・言語学等を混ぜ合わせたまさに「知の巣窟」であった。

その後ウィーン学団はナチスによるオーストリア併合とともに消滅し、ゲーデルはアメリカに渡る事になる。そこにはロバート・オッペンハイマー、フォン・ノイマンもヘルマン・ワイルもアルベルト・アインシュタインもいた。特に家族ぐるみの親交を持ったのはアルベルト・アインシュタインであった。その後ライプニッツやフッサールの研究に打ち込み「ゲーデルの神の存在証明」等を執筆後72歳でこの世を去った。

私感

GEBに関する情報を探していたら、寧ろその周辺情報に目に入ってしまったのだが、やはり同時期の世界の天才というのは、巡り巡って何処かで出会うものなのだろうか。上記だけでもゲーデル含め10人弱は出会った事になっている。類は友を呼ぶと言われるが彼らの間では日夜知的な討論が繰り返されたことだろう。特にヘーゲルとアインシュタインの会話といったら日常会話一つととってもどれ程高度な遊びに満ちていた事だろう。

世の偉人との才能も同年齢における差も最早愕然と開いているのは了解済みであり、世の中の大多数と同様に知能においてちっぽけな役にしか立たない事は自明だけれども、それでも自分のためにも後世のためにも世の中の諸事情を解明するため日々膨大な量の文字の羅列の理解と世の中の観察をするのみであろう。

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「方法序説」におけるデカルトの思考再構築規則 (書き掛け)

posted in 04:20 2007年06月04日 by 涼微
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(wikipedia)

  1. 私が明証的に真理であると認めるものでなければ、いかなる事柄でもこれを真なりとして認めないこと 。
  2. 検討しようとする難問をよりよく理解するために、多数の小部分に分割すること。
  3. もっとも単純なものからもっとも複雑なものの認識へと至り、先後のない事物の間に秩序を仮定すること。
  4. 最後に完全な列挙と、広汎な再検討をすること。

*註 (以下GEBの影響?で対話形式に挑戦) ↓


(とある学校の放課後にて)

涼 先生 「ところで、微妙君!君が日頃物事を考えている際手掛かりにしているその論理は、君自身で整理し直して語らしめている論理かね?」

微妙 君 「どういう事ですか?」

涼 先生 「つまり、他から仕入れた情報を自分で考える事によって整理し、自信を持って喋っているのかねという事だよ。」

微妙 君 「うーむ、正直そこまで自信を持って喋ってないですね。他から聞いた情報を自分なりにアレンジせずに使っているのが大半だと思います。」

涼 先生 「そうであろう!しかし、自身の生涯を振り返って厳密に論理を再構築しその後その論理に忠実に従って生きた人物がいるのだよ。」

微妙 君 「誰ですか?それは?」

涼 先生 「その人はデカルトというフランスの哲学者なのだが早速この資料を見て欲しい。」 

上記のコピーを渡す。

微妙 君 「」

涼 先生 「」

続く

(疲れた。なにこの悪乗り 笑)

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哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,6

posted in 21:11 2007年02月22日 by 涼微
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採点

90

項目

1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO,5  の続き

儒教

日本に仏教が受容された当初は、精神的原理は仏教、政治的・社会的原理は儒教というルールが確立していたようである。しかし、その後儒教が真剣に考えられた形跡はあまり無く、時代の精神的雰囲気は仏教優位のまま徳川時代に移った。ところが、伝道の自由を奪われ、門戸制度などを通じて幕末の末端に組み込まれた仏教の精神的エネルギーは弱まり、儒教が日本人の精神生活において重要な位置を占めるようになる。

このとき採用された儒教は、朱熹等によって編成された朱子学ないし宋学と呼ばれる新儒教である。それは宇宙論・人生論・実践哲学を一貫した原理によって説明しようとした、スケールの大きな整然とした思想体系である。これは、これまでの陰陽説や五行説を新たな角度から再構築した物で、宇宙の始源の状態=無極としこれを「理」という言葉で置き換えた。そして、この「理」を万物に内在させるためには「気」がいる。この「理」と「気」とによって人間性の問題も説明するのである。

朱子学に続いて徳川幕府の日本に影響を与えたのは、王陽明によって始められた陽明学である。これは、自己の内的生命の要求にかない、理論と実践がぴったり合った思想体系の成立を要求する声に答えたものである。また、陽明は知行合一を説いた、ここでいう知は政治とか道徳とかの人間の実践に結びついた知に限られ、実践に裏付けられた知だけが真の知であり、ここにおいてはじめて知行が合一する。このように、人には真に知り行う能力があると考え、この能力を良知良能と呼んだ。

ところで、日本においての儒教の受け取られ方として重要な意味を持つのは、日本の古学と、儒教を武器として自由に思索を始めた自然哲学であろう。これらの古学者の中で重要な意味を持つのは、伊藤仁斎とは荻生徂徠である。前者においてはヒューマニズムの思想として、後者においては政治思想として、また古文辞学という学問方法論として重要な意味を持つ。

徂徠以来、儒教は真理を求めるための、また真理の説明のための、道具として使用され始める。とくに三浦梅園は今までになかった思想家のタイプであろう。彼は言う、「数限りの無い人が思想を費やしながら、なんら隠すことなく自己を示している天地の条理を、なぜ見うる人がいないのか。それは、見慣れ聞き慣れ触れ慣れて、何となく癖が付いているからであり、物を怪しみいぶかる心が萌えないからである」と。また、「この慣れ癖を引き起こす最大の物は書物である。しかし、われわれが師とするものは書物でなく自然でなくてはならない」と。

その後、明治になってわが国の哲学を高めたのは『善の研究』で知られる西田幾多郎である。彼において、仏教と基調とする東洋の智慧と、西洋の哲学が出会った。もちろん西田の思想は不十分である。しかし、対象化されえぬ真の自己を深く掘り下げ、その底の創造的世界を発見したかれの思索の方向は、人類がこの後、共通の財産とせねばならないものだろう。

私見〜本書が「哲学のすすめ」たる所以〜

いきなりだが、NO,2以前とNO,3以後の内容の濃さが違うのは、途中で方針が変更したからであるが、特に直す気も無いので突っ込みは無用であるということにしておこう。

さて、本書が哲学のすすめたる所以というのはどこに存在するのであろうか。それは、「哲学」というものを全体的に包括している本書の内容自体もさることながら、哲学初心者にはうってつけと思われる、ある程度の内容の難解さが備わっている点であると思われる。

それはどういうことかというと、本格的な哲学書というのは抽象的な文字が主体であり、意味が捉えにくいので根気よく読まないといけないことになるだろう。また、時には書かれた時代の背景をも考慮して読まないといけないものだから、初心者がある程度の理解を伴って読みきろうと思ったら時間をかけるのも厭えないものである。

そこにおいて本書も例外無く、意味の取り難い抽象言語がばんばん出てきて読み切るのに苦労させられた(本書においては、年代別の記述なので時代背景を考える点はある程度緩和された)。本書のような入門的位置づけにおいてもこの様な状態なので、仮に本書を読みきれない人が、実際の哲学書を読むのは簡易なものを除けばまず無理である。

要するに、本書は無碍に文体を簡易に示すことはやめて、初心者に哲学を学ぶ厳しさを教え、これぐらいのレベルなら読みなさいと指導してくれているのである。

まさに初心者には最適な書といえるが、書店ではまず売ってないと思われるので、哲学に興味がある人は図書館か古本屋へ今すぐ読みに行くべき書である。

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哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,5

posted in 17:44 2007年02月21日 by 涼微
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90

項目

1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO,4  の続き

東洋の智慧

我々は、東洋人でありながらその東洋の宗教・哲学・思想のあまりの無知さには驚くばかりである。そこで、「東洋の智慧」と題して日本に関係の深い仏教儒教について書いておくことにする。

仏教

紀元前1500年ごろ、アーリア人はインドに移住し自由な思索にふけった。そして『ヴェーダ』の神話的思考からやがて『ウパニシャッド』の形而上へと移っていく。『ウパニシャッド』の思想でもっとも重要な意味を持つのは、大宇宙の原理としてのブラフマン(梵)と個人我としてのアートマン(我)の究極の一致の思想であろう。

その後、紀元前500年ごろシャカ族の王子としてゴータマ・ブッダが生まれる。彼は29歳の折に出家して苦行の末悟りをひらいた。その原始仏教の特色は『ウパニシャッド』のアートマン(個人我)を実態視することを否定して無我を説き、六師外道の極端な快楽主義や禁欲主義に反対して中道を説いたところにある。

この釈迦の考えかたは、次の四諦(四つの真理)の説にまとめることができる。

  1. 苦諦―人間の生存は苦しみであるという真理。
  2. 集諦―われわれの苦悩は、煩悩、とくに妄執にもとづいておこるという真理。
  3. 滅諦―妄執を制することによって苦しみを滅しつくした涅槃が解脱の理想郷であると言う心理。
  4. 道諦―この苦しみの止滅に導く修道法は八正道にほかならぬと言う真理。

この八正道とは、(1)正見―正しい見解(2)正思―正しい思推(3)正語―正しい言葉(4)正業―正しい行為(5)正命―正しい生活法(6)正精進―正しい努力(7)正念―正しい想念(8)正定―正しい瞑想、の事である。

釈迦の滅後、約100年たったころ、保守的伝統的な上座部(小乗)と進歩的な大衆部(大乗)に分かれた。特に大乗仏教においては、龍樹が現れその著書『中論』においては、自己と存在の絶対否定を通じて展開する真如といういのちの風光の世界を、論理的に表現したものである。

龍樹の中観思想と並び二大潮流をなすのは、無着、世親により大成した唯識の哲学である。この派では、世界は観念の表象であり、存在するものはすべて意識の所産だという。また、無明と解脱の他に、それらを媒介する縁起の世界を定立し三性説を唱えた。

その後仏教はインドから中国に伝わったが、そこでは文化形態の類似点がほとんど無く困難を極めた。しかし、それを克服して仏教は中国に広まったので、ある屈折と創造が生じた。この中国仏教を代表するものとしては天台と華厳が存在する。

天台の思想は、三諦円融・十界互具・一念三千の考え方に示されている。三諦円融において空・仮・中の三つの真理を円やかに調和を保って融合する。また、十界互具において地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天上・声門・縁覚・菩薩・仏の中の一界が他の九界を相含み、この十界互具により百界が成立し、そこからさらに十のカテゴリーと三つの世界に分け、これを乗じた三千がわれわれの一念にそなわることを一念三千とする。

華厳の思想は事事無礙法界の縁起の世界であり、これは個物がその独立性と創造性を十分に発揮しつつ、しかも大きな連体制が実現する世界である。このように、個人の絶対的自由と、個と他の個とのあいだの調和や連帯性との共存する世界の実現は人類最高の目標であるが、事事無礙法界の世界はわれわれの究極のすがたを示していると言える。

中国や朝鮮から仏教を受容した当時の日本は、高度な自覚的思想を形成していなかったので、比較的スムーズに仏教が入ってきたと言える。しかし、高度な自覚的思想は無かったとはいえ、日本文化の基本的性格は既に形成されていたので、日本的変容を遂げた。

その中でも空海の思想はスケールの大きさ、不変的性格において格別である。彼の思想は究極的実在、究極的価値―大乗仏教のいわゆる法身―がそのまま感覚的存在として捉えられるとし、われわれの感覚・言語・思による行為の純粋化を通じてこれと一致するという考えである。そして従来の立場を顕教といい、これを密教とした。また、人間の精神の発展段階を十に分けて説明し、真言密教の教えにおいて究極の位に達する。ここから出てくるのは、即身成仏の思想であり、われわれは真言(マントラ)を誦することにより、実在と感応道交する事ができるとされる。

空海の同時代、日本天台の創設者である最澄は完成を見ないまま死んでいった。その後、天台と密教の融合において成り立つ日本天台を完成させようとしたが、末法意識の高まりとともに、日本天台の一部である浄土教の思想が独立の物として発達することになる。

この浄土教は法然により大きな飛躍を遂げた。彼は仏陀の本願を選択し、信仰の純粋のみを救済の条件とした。当時の悟りのためには行と戒律を守ることが必須とされていた仏教から反撃をこうむったが、このように信仰の絶対性のみを要求する単純な教えは民衆の中に浸透していった。さらにこの道を親鸞が一歩進めることとなる。この様な法然や親鸞における「選択の思想」は寛容的であり、他の人々の可能性を否定しなかった点が特徴的である。

ところで、禅の道を深く進めたのは道元である。彼は、自己実現の方法として仏教の伝統に従ってひたすらな坐禅(只管打座)を説き、それ自身を究極のものとしていわゆる修証不二であるとした。そこには、有無を超えた龍樹の中道の世界があり、彼の一見単純に見える思想は大乗仏教の本質を捉えたものであった。

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO,6  へ続く

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哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,4

posted in 23:57 2007年02月20日 by 涼微
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90

項目

1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO,3  の続き

現代の哲学〜体系の否定とさまざまの課題〜

ヘーゲルの死後、彼のような体系的な哲学は寧ろ、批判されることとなる。それは、諸科学の発展に応じて思想の態度や学問に対する考え方が変貌したからである。その様な体系を解きほぐした思想家たちを「青年ヘーゲル派」と呼ぶが、その中でもフォイエルバッハの哲学の根深さは群を抜いている。

彼の功績は、哲学をば神的絶対者を原理とし存在する学から人間の学にひきずり下ろしたところにある。だから、彼は新しい哲学を「人間学」と呼ぶ。それは、「人間を越えたもの」への従属から自由になった「人間のことば」と訳すべきものである。

ところで、社会的人間の現実学を展開したのはマルクスである。彼の主義哲学として挙げられる特性は、「弁証法的唯物論」すなわち自然・歴史・社会を物質的過程として弁証法的に展開するものであった。また、彼は歴史の運動とは基本的に内容(生産力)の発展に応じ形式(生産関係)が変革されてきたことだと言い、これを「唯物史観」と呼ぶ。さらに「資本論」を著し、現代社会の内的矛盾を原理的に論証した。

自分が有限者であること、自分が単独者であること、この自覚を差し置いていったい主体性とはなんでありうるか。ゼーレン・キュルケゴールはこの問いから出発する。彼の「実在」としての立場からの主体性の論理により、質としての個人的・論理的究明をする立場は、バルト・ブルンナー等の弁証法神学やヤスパース・ハイデッガー・サルトルに受けとられた。特にサルトルの実存主義思想はきわめて社会的に積極的な態度であった。

生の哲学と言えば、「ツアラツストラ」を著したニーチェがいる。彼の思想は、ソクラテス以来の形而上学をすべて生を否定する思想すなわち「ニヒリズム」とし、このニヒリズムに徹する事で生の否定から肯定へと価値を転化させることを説く。

また、歴史上の生を自分の生で捉え、現在の自分が歴史に意味を与えるのだという、歴史学を精神科学に意味づける事をデュルタイにおいて確立し、進化論を主体化して自発的生命こそが真の実在であるという、魅力的な生の形而上学をベルグソンが示た。また、この根源的な生へ帰還して再生を帰すべきこの指針は広くヨーロッパに影響を及ぼし今日に至る。

19世紀中頃になると「カントに帰れ」という新カント派がおこることとなり、その中でもリッケルトは、自然科学と文化科学の学問的性格を明確にしようとした。その影響を受けつつ、社会科学的認識の客観性を追及して、歴史・社会の認識方法論を立て、自分も経済史・経済社会学・政治史等で実り多い成果を挙げたマックス・ウェーバーは今日にも強い影響を持つ。

また、プラグマティズムを哲学として確立させた人がパースであり「概念の対象」が、「実践的影響」を持つと考え得る「効果」が問題であった。その後、ジェームズ・デューイへと発展しアメリカの社会生活の調整に大いに役立つ事となる。

その後、科学哲学は多岐にわたって発展するが、近年では例えばポパー・エイヤーの諸著作を見ても、つねに哲学を学問論的に再検討すべく要請を続けている。

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,5  へ続く

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哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,3

posted in 23:52 2007年02月19日 by 涼微
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90

項目

1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO,2  の続き

中世の哲学〜信仰と理性〜

哲学の学としての自覚は、人間の意識が神話(ミュトス)の想像力の域を脱して論理的理性(ロゴス)の立場に達したときに始まる。しかし、その様な「宗教から哲学へ」の歩みも高次の神話と言うべきキリスト教の出現により、自体はあたかも「哲学から宗教へ」と移行したかのごとくに考えられる。

そこで、哲学からの優位を主張するためには学問性を整備する必要に迫られ、そうしてキリスト教こそ真の哲学たるべきことを示そうとしたのが、いわゆる「護教家」の人達であった。そうした護教家の一人ユスティノスによると真理はそれが全て真理である限りキリスト教の真理であり、キリスト出現以前も例外ではないとした。

さて、キリスト教の整備に伴う異教との対立という激動期にあって、西洋中世の思想史を方向付けたのはアウレリウス・アウグスティヌスである。彼はその著書「告白」において自叙伝を語った。またキリスト教とは、罪によって損なわれた人間本性とその回復すなわち「救い」というすぐれて「よく生きること」、への期待とが織り成す真の意味の哲学であると主張した。

西暦八百年に教皇レオ三世により戴冠を受けたカ−ル大帝は新帝国建設の一環として学芸復興を重視した。その事業を主導したのはアルクインであったが、その文化的状況から哲学の微光も指し始めやがて、ヨハネス・スコット・エリウゲナの登場に至る。彼は、「ディオニシウス偽書」を著したが、それによると聖書は唯一絶対の権力であり、「真の哲学は真の宗教であり、逆に真の宗教も真の哲学である」とし、救いはその哲学の道を経なくてはならないとしている。

エリウゲナ以後しばらく新たな思想の展開は見られなかったが、その後、弁証論の世俗的化と、それを批判した修道院との対立を根本的に再検討しようとしたアンセルムスが出た。彼は、「信ずるために理解しようと努めるのではなく、理解するために信ずる」と言う態度をとって、それにより信仰と理性の和解の道が開かれることになる。

十二世紀になると、アリストテレスの著書が訳されることとなり、ラテン界へ移されることになったが、それはキリスト教の伝統に重大な危機をもたらすかのように見えた。そこにおいてアリストテレスの「哲学」とカトリック信仰の城砦としての「神学」を相互に補足しあうと言う見解からその綜合を果たし、模範的な高さへとした人物こそがトマス・アクィナスでありその著書は「神学大全」である。

しかし、もともとアリストテレス哲学とキリスト教は相容れない面を多分に含んでいたので、両者の連続性を断ち切ろうとする傾向が支配的になってくる。それが、ドゥンス・スコトゥス及びウィリアム・オッカムへの歩みとなっていくのである。

丁度のそのころ近世の幕開けを告げるルネサンスの烽火はすでに上がっていたのである。

近世の哲学〜自我と自然〜

神的なものと人間的なものとの対立を絶対化してしまった中世的な世界観では、無限と有限との断絶も絶対的なものとなり、人間や自然は無限ではあり得なかった。その傾向は、ルネサンス文学のダンテの「神曲」にも出ている通り根強いものであった。

その中において宇宙を無限と唱えたニコラウス・クザーヌスは革新的なものであり、近世哲学史はこの人から始まると言われている。この宇宙無限説の革命的な意義をもっとも悲痛な形で示したのが、ジョルダーノ・ブルーノである。彼はカトリックの異端者として流浪しながら、自らの思想を説いて回った。しかし、ついに捕らえられ火刑にさらされることとなった時「私に宣告を下したあなた方のほうが裁かれる私より脅えているではないか」という言葉を残して燃えさかる炎へ入ったと言う。

ところで、こうした自然の本質に関する「自然哲学」は別に、自然現象を対象とする「自然科学」もほぼ時を同じく出現した。この自然科学の方法論を始めて示した人物は、かの万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチであるが、それがもっと豊かに結実させたのは、地動説のコペルニクス、天文学のケプラー、物理学のガリレイである。

これに反し、実験や数学的論証の重要性を欠いていた人物はフランシス・ベーコンである。 しかし、ベーコンの著書「ノーブル・オルガニズム」におけるイドラ説は現代にも通用する戒めと言えよう。イドラとは人間が持つ4種類の偏見の事で、イドラに捉われることなく自分の足で立ち自分の頭で考えよと言うのが彼の主張するところである。

ところで「認識」において経験と概念が必要であるという洞察に到達したのは、カントにおいて初めてであり、彼の主著「純粋理性批判」の中で著されている。この様な認識論に到達する前にはデカルト・スピノザ・ライプニッツによって代表される理性論(合理論)とロック・バークリ・ヒュームに代表される経験論があった。そして、カントによるドイツ観念論の代表者にはフィヒテ・シェリング・ヘーゲルが存在する。

この頃、人間は誰しも誠実な祈りによって自分の孤独な内面において、神とじかに面接することができると言う神秘主義がルターカルヴァンにより唱えられ、資本主義的な営利活動に対しても宗教的な是非が認められることがマックス・ウェーバーにより分析された。

人間の内面の無限への追求が最も鮮明な形で現れる、「自我」というのがデカルトの思想的な出発点であった。そこで彼は、徹底した懐疑の道を選び「われ考う、故にわれ在り」とし、思考する自我の存在もってあらゆる確実性の根拠とした。また、彼は精神と物体は独立なものであるとし、人間に置き換えると心身二元論の立場をとった。その立場からの、果たして人間は機械なのか?という問いは現代に先んずるところがあった。

さて、これまで述べてきたような神と世界、自然と人間に関する認識論的な問題を包括する巨大な体系的理論を構想・展開したのがヘーゲルである。彼の思想を一言で表現すると、著書「法の哲学」で述べているように、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」と言え、このように現実的なものとして現生する理性こそ、デカルトの自我とカントの人格の本質を包括する近代哲学の総決算と言える。

よって彼の死とともに近世は終わり、現代思想が生まれることとなる。

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO,4 へ続く

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哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO,2

posted in 00:30 2007年02月18日 by 涼微
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90

項目

1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO、1 の続き

認識と論理

今見ているものは「本物」か「見せかけ」か、すなわち「物質的世界」「感覚的世界」は同一のもであるのか?と考える事が出来る。そこでは、「感覚的世界」は「物質的世界」の付帯的な像ではなく、「物質的世界」にその所在する場所を与え、意味を与える母体と言うことになる。

しかしそもそも、「感覚的世界」とは別の「物質的世界」というものは存在するのだろうか?ここにおいては、「感覚的世界」とは一つの視点からの「見え姿」に過ぎず、「物質的世界」を語ると言うことは、「見え姿」の無限集合について語ることと考えられるのではないだろうか。

ここで大切なことは、「感覚的世界」と「物質的世界」の関係についての「語り方」である。そこで、「論理学」が生じることになるのである。そして、その「論証」という荒い方法において、明確な言葉・叙述を失いがちな「哲学」を明確に表現しようと試みることとなる。

言葉

言葉には知覚・行動としての手段伝達のための道具という2つの性質がある。

「知覚・行動としての手段」のための作用としては、様々な局面と状況を通じて単一の事物を指す実体化・物化としての作用と、現実の知覚的映像において区別と分離の不可能な契機を区別と分離を可能な独立体に変える区別の作用が存在する。
こうしたはたらきは、人間が環境に適応するため行動と深いつながりを持ち、しかもそういう動作的なものから一歩はなれた間接的な場面において言葉として成立している。

「伝達のための道具」は言葉の持つ本質的な意味であるが、そもそも言葉には、音声の文節によって生じたこと(分節的音声記号)、シンボルであること(象徴性)、一定の民億集団のなかで、約束されたものであること(社会契約的共同制作性)、言語体系がいくつも存在すること(言語的相対性)という性格がある。これらの性格により「伝達の道具として」活用できる。

このように、「言葉」とは人間そのものの基盤すなわち、「哲学」そのものの基盤と言えるので、「哲学」はまず言語批判でなくてはならない。しかし、これは特定の言語学説や哲学の立場に捉われるのでは無く自分自身の経験と思考で行われるものである。

3、哲学の歩み

ここでは、哲学の歩みを時代別に分けて、すなわち古代中世近世現代・の哲学と東洋の智慧について見ていくことにする。

古代の哲学〜自然と人間〜

哲学はイオニアのタレスをもって始まると言われる。彼は、「万物の根源は水である」と言い、その後イオニアにおいては生成を問うたが、それに対してピュタゴラスからのイタリアの伝統が存在する。彼は、哲学と言う言葉を導入し、また世界の秩序ある構造を問うた。その後ヘラクレトスやパルメニデスの自然学から原子論へと移ってゆく。

そして、哲学の舞台はアテネへと移り、普遍的な本質をロゴス的な問答法で捉えようとするソクラテスが現れる。しかし、ソクラテスが問答で求めたものは明確に答えることが出来ず、これを思想として形を与えたのがプラトンである。彼は、人間を超越するイデアを考案し、人間はこのイデアと自然との間に立つと言う綜合を成し遂げた。その弟子の、アリストテレスにおいてはプラトンのイデアによる上からの哲学と対照的な下からの哲学である。また、彼は形而上学を著し存在論を展開することとなる。

その後、アレクサンダー大王の統治によりギリシアのポリスは過去の物となり、哲学は宗教的色彩を帯びてゆくこととなる。

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,3   へ続く

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