ハルヒ

「ふんだ。男なんかどうでもいいわ。恋愛感情なんてのはね、一時の気の迷いよ、精神病の一種なのよ」 (書き掛け)

posted in 16:26 2007年06月20日 by 涼微
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出典元

涼宮ハルヒの憂鬱 175ページ

物語の主人公であるキョン(男)が「普通の高校生らしい遊びを開拓してみたらどうだ」と涼宮ハルヒに聞いた時に彼女が答えた一言。

解説

この文は、本作において涼宮ハルヒのスタンスを最も端的に著している一言だと思うのだが、作者は作中で彼女に自分の目標以外には興味を示さないという一貫した論理を保持させる様を描こうとしていて(特に初期)、またそれが魅力的でもある。

ところで、この恋愛感情を精神病と捉える考え方について考えてみると、多少意味は違ってくるが例えば性的倒錯(Wikipedia)を思い出す。性的倒錯とは性欲の対象が通常ではない事(つまりで異常である)に対する表現であるが、仮に恋愛感情を精神病として異常なものと捉えるとすると性欲の対象的倒錯というものが存在するのだろうか。

ところでこの恋愛を精神病と捉える考え方は普段とは違った心理状態を説明するための考え方にもなり得る。

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涼宮ハルヒの考察 〜ライトノベル編〜

posted in 21:40 2007年01月11日 by 涼微
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涼宮ハルヒの考察 〜アニメ編〜から続く

〜ライトノベル編〜

初めに
このライトノベルの考察においては、二種類の視点がある。といのは、先にライトノベルを読んだか、それともアニメから入り、後にライトノベルを読んだかという視点だ。ここでは、後者の視点から見ていくこととしよう。

アニメとの違い
内容においては、アニメとあまり違いがないので違和感なくライトノベルに入ることが出来た。というのも、アニメにおいて、本作の一人称であるキョンがナレーションしている言葉がまさに、ライトノベルの文ほぼそのままなので、先にアニメで見た映像がすんなり頭に浮かび、容易に読み進むことが出来た。よって、アニメで放映した部分はほぼストーリーをなぞるだけという感じだった。

しかし、逆に言えばアニメ製作者がきちんと原文を読みこみ、細かいところまで表現した結果と言うことが出来るだろう。また、すんなりと原作の世界観に入れた事で、アニメで放映されていない部分も読んでみようという衝動に駆られたのではないかと思われる。



ストーリー性
ストーリー性自体は割と平易である。どこかで読んだことがあるような話であったことも否めない。しかし、もちろん独創的なストーリーの小説もあるが、わたしはほとんどの小説というのは、似たようなストーリーが巡り巡っているものであると思っている。本作品も、その循環に入っていた感じだが、では、この「涼宮ハルヒ」はどの様な点において、他の小説との良い方向の差異が見られたかというと、次に挙げる二点ではないだろうか。

独特な文体
文体は、谷川流氏独特のものが随所に見られていたのではないかと思う。この作品は準主人公であるキョンの一人称であり、本文はそのキョンのセリフ・心の声で大半を占められている。そこでの、谷川氏の巧妙な言い回しやぶっ飛んだ比喩における魅力的な点が、最もこの小説がうけた点ではないのだろうかと思っている。

また、谷川氏は麻雀が好きなこともあり、実際麻雀をしているシーンがあったり、オーラス(終局)などの麻雀用語がたまに使われているのも、麻雀好きなわたしにとってはなじみやすい点であった。



キャラクター性
こういったシリーズものが売れる鉄則としては、キャラクター性が個性豊かなことが挙げられるのではないだろうか。この小説もその例に漏れることなく、元気はつらつな主人公である涼宮ハルヒ、一般的にいう萌えキャラ?の朝比奈みくる、静かな読書家である長門有紀、ハンサムな助言キャラの小泉一樹、そして主人公に振り回されどたばたに巻き込まれるキョンという、見事にバランスがとれて、かつ個性的な主要登場人物によってこの作品は支えられている。

さらに、サブキャラにも一癖加えて、主要登場人物と同程度に魅力的にしているところも見逃せない点である。

〜音楽編〜
思い入れのある作品で使われる音楽というのは、往々にして客観的な判断がしにくいので、気に入らないのは稀ではなかろうか。



以上を考慮した結論
たしかに、文体・キャラクター性に惹かれた部分はあるが、結局は、初のライトノベルということで、思い入れが強かったというのが一番の要因であろう。また二番目の要因として考えられるのは、先に映像から入ったことで、すっかり姿や声等のイメージが定着し、生きた文章の様に感じられたことである。

ということは、〜アニメ編〜でも書いた通り、特に「涼宮ハルヒ」でなくてはいけなかったということでもない気がする。

しかし、上の二つの要因が重なった作品がこの「涼宮ハルヒ」で良かったのではないかと心の中では思っているのだろう。なぜなら、結局はこの話題の記事を二つ足すと、少なくとも現時点で、当ブログ一の長文となっているのだから。

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ソース

ニュー速クオリティ


まんたんウェブ


なつみかん


涼宮ハルヒの分析


ピヨ速



涼宮ハルヒの考察 〜アニメ編〜

posted in 00:59 2007年01月10日 by 涼微
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ついつい去年のブームに乗って、初めてライトノベルというものを読んでみたのだが、その初のラノベである涼宮ハルヒシリーズについて、今更ながら思い出しつつ考察してみよう。

〜アニメ編〜

始めに
初期からのファンというわけではないので、一般的な方法であるアニメから入ったわけだが、正直言って普段からアニメを全くといっていいほど見ない(というかテレビもほとんど見ない)ので、少々素人的な立場ではあるが、それなりにこのアニメを考察してみました。



時系列の違い
まず、アニメから入った人にとってぶち当たるのが、時系列がめちゃくちゃで意味が分からないということだろう。といっても、わたしは、テレビ放送をリアルタイムで見たわけではなく、You Tubeで見たから一気に二日で見れたのだが、それでも途中で短編が挿まれ、閉鎖空間がどーのこーの言われてもよく分からなかった。
 
しかし、もちろんこれには、意図があってのことである。一般的によく聞くのは、時系列をばらばらにすることで、初めて見た視聴者層に煩わしさを残し、原作を買わせるという戦略であったと聞く。一見失敗しそうな戦略だが、おそらくネットと結びついたことにも起因して、見事に的中しアニメ放送後、原作がバカ売れしているのである!

そこで、どのアニメでもこの戦略を真似すればいいではないかという意見が聞こえてきそうだが、この戦略には二つの前提が成り立っていないといけないと思われる。まず一つ目は、1クールなどの短期で終わらせることだ。もし長期的に続けるとアニメからの視聴者が混乱して元も子もなくなってしまうだろう。

もう一つは、短編と長編がうまく混ざり合っていないといけないということだ。仮に短編だけに偏るとそれは、ドラえもんなどのただの単発系アニメになってしまうし、長編に偏るとぐちゃぐちゃでわけが分からなくなってしまう。その点この涼宮ハルヒというアニメの性質にはまさにぴったりの戦略であったといえよう。



動きの凄さ
様々な所で言われている「動きが繊細で凄い!」というフレーズについてだが、これについては、最近のアニメを見ないのでよく分からないのだが、例えば第12話の「ライブアライブ」で長門さんがギターテクを披露して指を高速で動かすシーンなんかは、確かに凝ってる印象を受ける。

そこで、他のアニメーション制作会社は、これほどの技術を持っていないのだろうか?という疑問が生まれる。わたしはアニメーション製作技術に疎いので分かりかねるが、ある仮説ぐらいは立ててみることが出来る。

それは、アニメーション製作は努力の割に、あまりお金は入ってこないのではないかということだ。つまり、あまり頑張りすぎても、それに比例したお金という見返りは期待できない。しかし、このアニメを手がけた、京都アニメーションの製作スタッフは、本当にアニメーション作りが好きで、その結果情熱を持って仕事に取り組んだ。その差が出たのではないだろうかという考えだが、合ってるかどうかはよく分からない。
 


衝撃的な第一話
さて、原作ファンの心を捉えたのはどうしてかというのは、この第一話に集約されているといっても過言ではない。第一話から本編ではなくて、原作で言うエピソード00を持ってきて、元のストーリーとは一味違うことを主張し、さらにSOS団が作った自作映画ならではの繊細な演出で、原作を読んでいる者しか知りえない、微妙な部分を表現した事こそ、まさに最初からのファンの心を捉えた要因なのではないだろうか。

以上を踏まえた私的感想
わたしは、先に述べた通りアニメから入ったので、確かに時系列をいじるなどの脚本が用意した不思議さに、はまった面もあるだろう。

しかし、ネットを通じて、なにか一つのストーリーの動画を見るのも初めてだったので、その新鮮さが手伝った要因が大きという事も考えられる。さらに、幼少の頃アニメを楽しんで見ていた感覚を久しぶりにアニメに触れる事でなんとなく思い出されたのかもしれないとも思う。

そう考えてみると、涼宮ハルヒでないといけかったというわけではないように思われる。つまり、涼宮ハルヒという作品が話題になり、自然に目に留まる確立が高くなった。そこで、上に挙げた要因も手伝って結局は熱が冷めないうちに全部見終わったのではないかということだ。

この辺に関しては、次回涼宮ハルヒの考察 〜ライトノベル編〜  に続く

まぁ、今後アニメを見るかどうかは定かではないが、たまには見るのも良いかもしれない。

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ソース

みたいもん


デジモノに埋もれる日々


ねこ的webメディア論


ピヨ速





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