「好き」という感覚 (書き掛け?)
「好きこそ物の上手なれ」というおそらく日本人なら誰もが知っているであろう諺がある。これは言葉の上で理解している範囲では「そんな当たり前の事を何を今更」と思うかもしれないが、いざ「好き」という感覚を言葉の意味を超えて体感的に捉え直してみると、これ程普遍的だが世に普及している言葉はあまり無いと気付く。(多くの言葉は、一部の人間の間にしか了解出来ない言葉、またはその言葉を信じさせる事で特定の者が利益を享受出来る言葉、ルサンチマンから発している言葉である)さてここでは、個人的な事例を元に「好き」という感覚の有効性を示してみたい。
1、
わたしはどうやら本当に本が好きなようだ。この”ようだ”というのは最近まで良く分からなかったのだが、本を集め始めて数ヶ月で所持数が200冊を突破したという「物理的」な実績によって初めて認識出来たからである(おそらく将来的には万は行くだろう)。もともと小学生の頃は”ずっこけ三人組シリーズ”など図書室の本を読み漁っていたのだが、中学・高校と何故か本を読まなかった。これはおそらく部活(テニス部)に熱中していた”弊害”のせいだろう。
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さてこの”本が好き”という感覚を分解してみると、「形や質感」と言った外面的な要素(これは分厚い本ほど視覚や触覚で”ぞくっ”とする感覚がする)と知識が得られるという実用的な要素(だからあまり小説は好きではない)に分かれているようだ。また、本を読んでいるだけで一生が過ごせるという人も実は世間にはそんなにいないらしい事も最近分かってきた。
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2、
検索 特定の人 根源 脳 ガウス 最大仕事量
3、
勉強 何をするにしても ブログ 好きのベクトル
4、
嫌 情報 気の持ちよう 無味乾燥 初心 才能
と、またもやいつものようにアウトプットの材料はあるが、相対的にインプットのインセンティブに比べればアウトプットのインセンティブは低いので書かないという記事になるかも。(もっとも、ある程度書こうという気になったという事は自分の中で多少のパラダイムシフトがあったテーマなんだろう(多分))
それにしても定期的にブログを書き続けとなると、知識を得るより出すのが”好き”か(情報を提供したい欲望・他人に認識されたい欲望 etc)、ブログを通じてコミュニティを形成するのが”好き”か、または金銭的なインセンティブがあるかのどれかなんだろうか(あと強制もあるか)。見事にどれにも当て嵌らなければ、たまに衝動的に来るアウトプットのインセンティブに身を任せて書くのみである。
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