ある個人に価値が付加される行動は消費ではなく生産である

posted in 00:54 2007年07月04日 by 涼微
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という定理を帰納的に導出してしまった。(別に大した事無いが)

言われてみれば当たり前の事なのだが、勉強やスポーツにおける練習などようするにインプットに時間を掛けている人はいくらでもいるのだが、その成果をうまくアウトプットする事が出来ないのでその結果インプットする事がただの自己満足に陥っている状態の人がいるのではないだろうか。(そもそもインプットさえしてない人は論外だが)

そういった人間はインプットに相対的に価値を置く、つまり努力量こそに価値があるのだ。しかし、他人はそんな個人の努力など知った事ではない。結果が出せなければ意味はあっても価値は無い。

また、このタイプに人間は恐らく完ぺき主義的な考え方の人が多いと思われる。つまり完璧を求めインプット依存症的な状態に陥ってアウトプットに踏み出せない事から、自己肯定の論理のを持ち出してアウトプットにはそもそも価値が無いと込んでしまっている。

結果、自分の努力量を自慢するだけの煙たがれる人間になるのである。

インプット依存→自己肯定→嫌味な人間 
(すごい論理飛躍!)

一番良好な状態は、

アウトプットのインセンティブ→インプット加速

みたいだね。別の言い方をすればインプットがアウトプットに追われるのが良い。

以上、味も素っ気も無い自己戒め記事でした。

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