(私記)学問優先度再考の再考/人文科学・社会科学・自然科学
1、経済学―ミクロ、マクロ、計量、経営
2、数学
3、言語学(英語、フランス語 etc)
4、心理学・哲学
5、コンピュータ言語
6、物理学
7、法学・政治学
8、芸術(文学、音楽、美術)
9、化学
10、歴史・地理・人類学
11、生物学
12、工学
13、医学
その他諸々
今のところメインが3ぐらいまでで、後はかじったぐらいかな。化学なんかは結構高校でやった気もするけど、優先順位だから生涯不変という事は有り得ないだろう。まぁ一ついえる事は、あと死ぬまで60年ぐらいだろうけどテーマには事足りないという事だね。
ちなみに「私記」とは広辞苑によると…”ひそかな記述。自分の著述などを謙遜して言う”という意味です。
ところで、学問は大きく分けて人文科学・社会科学・自然科学に分けられる。高校では早くもそれ以前の大まかな分類である文系・理系と分けられ、その後大学に進学すると他の分野の学問は教養科目として習うだけで基本的に他に立ち入らないスタンスを取るのだが、生きていく上で学校の教養科目とは別に各自やっておく必要が大いにある。
特に、人文科学は人間が生きる上で基礎となる科目である。この科目の素養を齧っているか齧っていないかで人間性がまるで違ってくる。もともとはこういった人文的な情緒を重んじる国民性であった日本人が、特にここ最近そういった思想を軽視する傾向に向かってはいないだろうか。安倍教育改革「負の遺産」 「哲学」の崩壊は憲法問題の記事に見られるように、目に見えた実績を示しにくいからという理由で学部を減らす等といった姿勢を国が主導となって展開するのはいかがなものだろう。本記事のフランスに見られるような「哲学的思考のトレーニング」に類似した人文的な思考のトレーニングを義務ずけるべきである。
社会科学を習う意義は、社会を知らずに生活するもの者を減らす役割があるといえよう。社会の仕組みを知るのと知らないのでは生活の水準が全く違う。
この世の仕組みはほぼ自然科学で成り立っていると言っても過言ではない。それを知らないで過ごしている人はただ単に与えられた仕組みを受け取っているのみの受動的な態度に終始するのみである。わたしが頓珍漢な主張しかしか出来ないのもおそらくこの自然科学的知識の欠如のせいだと思っている。
ところで、昔はある程度の教養水準は当たり前だったようだ。”今の若者”は知らない事が多すぎるという著述が至る所で見られる。わたしも”今の若者”の当事者として教養の乖離度を追って行きたいと思う。
人気ブログランキングぜひともクリックお願いしますm(__)m
スポンサーリンク
雑書文評記 TOPへ