三次元(現実世界)との親縁〜概念獲得論・集中力一定量仮説〜
(未推敲)(書き掛け)(支離滅裂) 注意
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本によって知識を吸収しているだけでは「頭でっかち」になると言われがちだが、果たして二次元(主に字)と三次元(現実世界)には実際どれ程の乖離が見られるのであろうか。
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取り敢えず字だけの知識を入れてもそれ程意味があることでは無いと言える。というのも、字だけなら何とでも言えるので自分の目で見て確かめないとギャップが激しい事になるであろう。しかし、語彙力を増やす事で概念を獲得したり読書による創造により予め現実への対応性を作っておくなどしてある程度の知識基盤を作って行動しないと理想と現実とのギャップが激しいこともまた事実であろう。
よってある程度の知識基盤→現実のギャップとの調整→微調整が望ましい形であろう。
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ところで、この二つの(両極端の)主義者の間には強固たる壁が存在し、知識があり論理的に物事を考えれる物は本能的な者をばかにし、現実主義的な体を動かしてなんぼと思っている者は勉強ばかりしている者を馬鹿にする。
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6/14
→この点に関しては構造構成主義研究と経済学への理論的応用で扱う事にする
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それならば、二次元と三次元の狭間である美術やすべてを包括しうる自然に立ち返ってみるのが良いのではなかろうか。
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6/14
「美術と自然」に関してはもうちょっと先伸ばしする事にする。
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もし仮に二次元的な行いも三次元的な行いもそれぞれ認めるとすれば、凡人と天才(何かを成し遂げた者)との違いとは何であろうか?
視点の違いだろうかはたまた何に対しても好奇心を持ち頭がフルに働く人であろうか。
6/14 (要修正)
おそらく後天的な凡人と天才の違いは能力(C)変数「知識量(K)と行動力(B)」と目標(A)と変数「集中度(E)と時間(T)」の二式
C = K + B
A = E × T
によって決まる。
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