大学で何を学ぶか /浅羽 通明
目次
序章 まじめな貴君は警戒すべし
第1章 大学の残骸は見捨てるべし
第2章 大学は「世間」と心得るべし
第3章 大学をパソコンのごとく駆使すべし
第4章 大学から「教養」を奪還すべし
序章から第三章までは一言で記すと「大学で将来役に立つことを学ぶ事はほぼ皆無だから、就職のために自発的に行動して世間を知れ」と主張する。(まぁ特に目新しくなかったからよく覚えていないけどこんな感じ)
そんなことより、本書の主題から外れた第四章の教養に関する考察が自分の考え方を見事に活字化してあり痛快であった。
それを端的に現した一節にこんな文章がある
(世の中の多数者が求める)「充実した只今」「みんなとの時間」「好みで統べた小宇宙」……。どれもこれも、すばらしい夢の実現である。
しかし、それ以外の夢を求めるひともなかにはいる。この時代に、なお学問や読書の方向へ「教養」を求めるきみは、きっと多数者とは異なる願望を多かれ少なかれ抱いてしまっているのだろう。
ただいまが楽しいだけでは満足でない。「現代」の意味を見つけたい。過去や未来にこだわって、みなにとって絶対である「いま」を相対化し、懐疑的批判的に眺めたい。
みんなといるだけでは満足できず、自分ひとりで誰にもじゃまされない時間を確保し、他人が話題としない時流と無縁のテーマをマイペースで追いかけたい。
好みのものに囲まれているだけでは満足できず、学校やテレビが伝える断片的情報が、どう組み合わさって世の中全体を構成し、どちらへ動いているのかを摑みたい。
きみはこんな願望を抱いてしまった少数者なのかもしれない。
(中略)
しかし、少数者だからといって、偉いわけではちっともないよ。世の中は多数者が働いてこそ回転するわけで、きみだって、そのおかげで生活してこられたのだ。
だからきみは、恥じず、また偉ぶらず、少数者として生きればよい。というよりもほかに道は残っていない。
この文と前後の文章を見てより確信したのだが、すなわち大多数の彼(彼女)らは時間的にも空間的にも自分を中心とした小さな範囲のしかも表面的な事しか見えていないのだ。
しかし、いったん現状を懐疑する思想を持つと如何に自分の行動が現状嗜好で他人主義的な行動であったかに気付く事であろう。そうなると決して元の思想には戻れない。そして、こういった少数派タイプはおそらく"哲学"が好きであろう。
もちろん、大多数の考え方が悪いわけでもなく、なにより少数者が偉いわけでは無いのだけどもね (笑 浅羽氏も含意があることだろう
ところで、著者の浅羽氏はどうやら「澁澤龍彦」氏を慕っているらしく「快楽主義の哲学/澁澤龍彦」において”澁澤兄貴の愉快にしてざっくばらんな談論”という後書きを執筆していた。
そういうわけで、本書の言い回しといい考え方といい”澁澤色”が出ていて(わたしも澁澤作品が面白いと思うので)とても読みやすかった。
大学在学中にこういった本を一冊でも読むことで、現状の考え方の甘さを認識し将来への行動を変えることが出来る指標と成り得るのである。
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この記事へのコメント
京都大学大学院の内部からの進学を少なくすることもあり、
京都大学で学びたい人は大学院から入ってきてくれと言う事で
編入への定員が大幅に削減される見込みです。
大阪大学などでも同じようです。がんばってください
有益な情報どうもありがとうございましたm(__)m
しかし、最近は編入にこだわらなくても勉強する環境も、またその成果を活かす方法もいくらでもあるのではなかろうかと思っていたところです。
もっとも、選択肢が狭まることは悲しいことですけれども。