意味論〜現状へのアンチテーゼ〜
意味論と書いたけど、わたしがここで想定している意味論と本式の意味論の定義は全く違うので注意されたい。
本当の意味論はこちら(wiki)
ここでわたしが想定しているのは、果たして現在している事は本当に意味がある事なのかどうなのかと逐一考える事である。一歩進んで現在の行動は全選択肢の中で最良の事なのかどうなのかとしても良い。(この事を著すのに最適な表現がありそうだが思い浮かばない、そしてこういった考えは超主観的な答えしか出せない)
さて、そのためには現在の行動と逆の選択肢―要するに現状へのアンチテーゼを想定してそれと現状を吟味してみる事が一つの方法である。
さて、前提はこれぐらいにして私にとって今現在最も時間を占めている事は大学院を前提とした勉強(主に経済学)である。では、これに対するアンチテーゼを考えてみると、実務能力を鍛えたりして就職に控えるというのが思い浮かぶ(アンチかどうかは微妙だが他の選択肢たりえる)。
要するに来年の就職活動に向かって企業を調べるだとか、コミュニケーション能力を高めるだとかいったアカデミックな部分から離れる事をしてみたらどうだと言う事である。(もちろん現状のアカデミックの欠如は言うまでも無い)
特にコミュニケーション能力に優れる、やや言い換えて世渡り上手になることはこの先、生きていくうえで最も重要な事の一つであろう。しかし、本と対話している限りではこれは身に付くものでもない。特に今春休みと言う事で、週一のバイトとたまに遊ぶ(ある種の下等な遊びには意味を見出せない)時以外、人と話していない事になる。
また、わたしは無駄口をたたくのは嫌いな方なので、(注 嫌いという言葉には二通りの意味があるすなわち本当に嫌いな場合と出来ないから嫌いと思い込み自己保身している場合とであるが、後者である気もしなくも無いので)いざ話さないといけない時(面接とか)にちゃんと話せるのかは特に経験が無いので一抹の不安が残る。
ここで個人的に問題になっているのは、勉強する時間と広義の対人スキルのための(人脈etc)時間との割合であるのだがどうも最適点が良く分からない。
さらに、現状している事への意義の思考と供に「書を捨てよ町へ出よう/寺山修司」の精神を実行している間に勉強の進み具合が鈍ってきた。しかし、なんだか漠然としたものだがネガティブさよりポジティブさの方が優っているので歓迎されたい。
さて、本題へと戻って現状へと懐疑する事は必要でありまたそれによって人類の進化がなし得て来たというのは想像に難くないが、ところで「下手の考え休むに似たり」と言う言葉がある、要するに馬鹿な者が必死で考えた結論は、何も考えず休んでいて結論を出さなかった状態と大差が無く、全くもって無意味であると言う事だ。
これは知的な者が馬鹿を見下す時の言葉であるが、しかし本当の馬鹿はそもそも考えるという行為に至らない(自発的ではなく他人の影響により考える事はあるかもしれない)のであり、生きていく上で他人に流されておけばそれで幸せな一般大衆を指す。
また、逆に知的な者はある一位に定まった絶対的な自分基準を持っており、ある種の疑問に対して暫定的な答えを出す事が出来る。(ここは恐らくの話)
そこで、一番惨めな者は中途半端に考える事を始めて暫定的な答えを出せずに苦しんでいる者を指す。しかし、恐らく大半の知的な者はこの時期を乗り越える事によりその知的さを獲得しているものと考えられる。
その観点から言えばこの種の悩みは必要な物と考えられるが、果たしてそこからの帰結―要するに現状に満足して思考を止めてしまうか、はたまた一段階上のフロンティアに行くのかという岐路を乗り越えるかどうかでこの先の人生が大いに違うものになるのだろうか。(こんな事を書いてる時点で答えは一義的だが)
しかし、こんなちっぽけな(わたしが思いつく程度の)問題は過去に何度もシュミレーション(繰り返え)されて来たに違いないから必ず似たような事例はいくらでもあるだろう。
また、現状に特に懐疑的で無いと思われる大人(本人がそれで満足なら何も言うまい)も数多く見てきたので、特にそういった馴れ合いの果ての一般大衆を反例にしていくのも良いかもしれない。
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この記事へのコメント
このタイミングで寺山修司とは、おもしろい方向に向かいましたね。
私がそうだったからそう思うという面がたぶんにあるのですが、涼微さんは知のお洒落さんなのだろうね^^
15時間勉強するという記事を見たときには、20歳のくせになんて大人なんだと感じて、遠いところにいってしまったような感じがしました。
寺山修司には読むべき時期があるというか、25歳までに読まないとそのよさがわからない性質のものだと思っています。
連投します
私はその前に澁澤龍彦にはまっています。寺山修司に興味を持ったのならば澁澤龍彦は当然リストには入っているとは思いますが、もし何を読もうかと迷っているのならば、『少女コレクション序説』がいいんじゃないかと思います。
関連性はいまいちわからないかもしれないけれど、橋本治の『桃尻娘』や岸田秀の『ものぐさ精神分析』も頭の片隅にでも入れておくといいと思います。
さらに続く
その後にハイゼンベルクの『部分と全体』を読んで、『ご冗談でしょファインマンさん』を読めば完璧だな。
人に本を薦めること(読ませること)が難しいのはよく知っているので、頭の片隅にでも入れておいてもらえたならうれしいです。
何より涼微さんは大学院受験頑張ってください。
コミュニケーションの修行にはテレアポの仕事がいいと聞きます。参考まで。
経済学おもしろいですね。今ブームになってます。涼微さんのおかげです。ありがとう。
寺山修司氏の事は正直良く分からないのですけど、「書を捨てよ!」というフレーズを初めて見た時からこれは自己否定として読むべきだと思いましたね (笑
わたし自身は「お洒落」が出来るほどの知はまだ身に付いてないと思うのですが、確かに誰よりも知を身に着けて自分を飾りたいという思いはありますね。
そういうわけで、一日中知を身に付けるために、あれぐらいの勉強時間をこなす事を思いついたのですが、知を身に付けたらブログで書く、はたまた友を誘って「街へ出る」等してふんだんに公にひけらかすべきですね (笑
それにしても澁澤龍彦氏に興味を持っている事を当てるというのは相変わらずの洞察力ですね^^;
しかし、大学の図書館じゃ明らかに偏りがありますから、次に古本屋巡りをする時は重点的に探してみますよ。
「かなりいいせん」ですか(笑
これは推測ですが「道徳的しがらみからの脱却」とかいった感じでしょうか。
要するに、いかに凡庸化された大衆の作った道徳・常識といった虚言・妄想の類から離れられるか、これは前記事の「とつげき東北」氏のホームページの上の方、特に「黒とつ」に書いてあるのですが、氏の雑記等の考え方は非常に面白いので、まぁ気が向いたら読んでみてもいいかもしれませんよ^^
学問が好きな人なら、社会を科学的に見るのですから普通に面白いでしょう<経済学
そこから数学を用いて理論を組み立てれるようになったらさらに面白いのでしょうけども。