勉強・ブログの方向微修正
1週間ぐらい前に15時間勉強するとか宣言してた人がどこかのブログにいたけれども、これは実証の結果2+1つの理由で容易ではない事が判明した。
という事で簡単な数式(けっきょく、足し・引き算だけかよ)を交えつつ、その理由を見ていく事にしよう。
1、時間的な難解性
仮に一日15時間の勉強時間を取るとすると、一日24時間と言う制約からして残りは、9時間と言う事になる。
24 − 15 = 9
そこからさらに、人間が健康を維持できる睡眠時間を7時間と仮定すると、
9 − 7 = 2
と、勉強の合間の時間は2時間しか取れないのだ!!(何を今更…)
さらに、ご飯を1日2〜3食分食べる時間を1+α(学食への移動時間・寄り道)時間と仮定して、風呂の0.5時間、トイレに0.5時間かかるとすると、
2−(1+α+0.5+0.5)=−α
と、なんと勉強時間を引けば生態的に必要な時間だけで24時間からα時間はみ出してしまうのである!
ここから更に、休憩の時間を取ろうと思うと明らかに時間が不足している!!
よって、一日15時間勉強は精神に障害をきたすと証明される。
2、身体的な難解性
どうも、わたしは昔から疲れたら頭が痛くなる性質なのだが1週間勉強してみて発覚した事には、13時間ぐらいで続けるには辛いほどの頭痛に見舞われるらしい。
前々から10時間は余裕でこなせていたのだが、この3時間に仕掛けがあったわけですね^^;
しかし、13時間なら中学校の期末試験勉強の時(注 大学受験中は軽く欝だったので結局達成出来ず。ってどうでもいいか)数回達成したような気がするんだがなぁ。
これは慣れればどうにかなる気もしなくもないが、わたしは勝手に13時間以上の勉強(若しくは何か一つの事)を数日続けると精神が崩壊するという、頭痛によるサインと受け取っている
+1の補足
人間何か一つの事にしか、意識がいってない場合のその視野の狭さは危険である。そもそも、一つの学問体系のみから世界の事象を把握しようとする考え方は無理があるものだ。
そういうわけで、物の見方が一方向的だと将来的に重要な事に気付ける瞬間に立ち会っても気付けない、そんな状況に陥る事であろう。
よって、一つの学問のみの勉強からの脱却が要求される事となるのである。(多分)
結論
以上のように見てきて、15時間勉強からの逃げとも取れなくは無いが(笑)あまり一つの事を集中的にやっても効率も上がらないし、視野の狭さも感じる限りである。
そこで、自分への勉強モデルの提案としては
経済学 英語 他分野読書
7 + 3 + 3 = 13
睡眠 休憩等
7 + 4 = 11
勉強等 広義の休憩
13 + 11 = 24
といった感じかなぁ。
しかし、睡眠が5時間ぐらいで平気にならんものかね。この辺は要検討の余地ありといったところだろうか。
後は、英語が出来ないとこの先話にならないこと請け負いなので、もうちょっと時間をかける必要があるかもなぁ。
それにしてもこの記事にしても過去の記事と比べると、ずいぶん自由度が増したものだなぁ。ほぼ日記帳だねこの記事とか。
A君 : なんだろう公共への発信という恐れが無くなったからかな?
B君 : まぁ、堅苦しくても面白くないしなぁ。
Cさん : 多分勉強のしすぎ?で頭がおかしくなったんじゃない?
それは、おそらくとつげき東北 さんのホームページ(無断転載失礼)を久しぶりに読んだからだろう。
(ホームページの上の方の非麻雀系の文章とか、後5年程(希望的観測)は追いつけそうに無いセンスですわ)
もっとも、最低限のネットルール遵守と読者に飽きさせない(定期的な読者がいるかは謎だが、まぁ5人もいないだろう ^^)文章には気を付けます。
題名から逸れてきたので今日はこの辺にして、勉強しよ。
まぁ、本来の目的だった書評もたまにはやるか…
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この記事へのコメント
それに後一年半ありますから、そんなに焦る必要もないと思いますよ!