哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,6
採点
90点
項目
1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題
哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,5 の続き
儒教
日本に仏教が受容された当初は、精神的原理は仏教、政治的・社会的原理は儒教というルールが確立していたようである。しかし、その後儒教が真剣に考えられた形跡はあまり無く、時代の精神的雰囲気は仏教優位のまま徳川時代に移った。ところが、伝道の自由を奪われ、門戸制度などを通じて幕末の末端に組み込まれた仏教の精神的エネルギーは弱まり、儒教が日本人の精神生活において重要な位置を占めるようになる。
このとき採用された儒教は、朱熹等によって編成された朱子学ないし宋学と呼ばれる新儒教である。それは宇宙論・人生論・実践哲学を一貫した原理によって説明しようとした、スケールの大きな整然とした思想体系である。これは、これまでの陰陽説や五行説を新たな角度から再構築した物で、宇宙の始源の状態=無極としこれを「理」という言葉で置き換えた。そして、この「理」を万物に内在させるためには「気」がいる。この「理」と「気」とによって人間性の問題も説明するのである。
朱子学に続いて徳川幕府の日本に影響を与えたのは、王陽明によって始められた陽明学である。これは、自己の内的生命の要求にかない、理論と実践がぴったり合った思想体系の成立を要求する声に答えたものである。また、陽明は知行合一を説いた、ここでいう知は政治とか道徳とかの人間の実践に結びついた知に限られ、実践に裏付けられた知だけが真の知であり、ここにおいてはじめて知行が合一する。このように、人には真に知り行う能力があると考え、この能力を良知良能と呼んだ。
ところで、日本においての儒教の受け取られ方として重要な意味を持つのは、日本の古学と、儒教を武器として自由に思索を始めた自然哲学であろう。これらの古学者の中で重要な意味を持つのは、伊藤仁斎とは荻生徂徠である。前者においてはヒューマニズムの思想として、後者においては政治思想として、また古文辞学という学問方法論として重要な意味を持つ。
徂徠以来、儒教は真理を求めるための、また真理の説明のための、道具として使用され始める。とくに三浦梅園は今までになかった思想家のタイプであろう。彼は言う、「数限りの無い人が思想を費やしながら、なんら隠すことなく自己を示している天地の条理を、なぜ見うる人がいないのか。それは、見慣れ聞き慣れ触れ慣れて、何となく癖が付いているからであり、物を怪しみいぶかる心が萌えないからである」と。また、「この慣れ癖を引き起こす最大の物は書物である。しかし、われわれが師とするものは書物でなく自然でなくてはならない」と。
その後、明治になってわが国の哲学を高めたのは『善の研究』で知られる西田幾多郎である。彼において、仏教と基調とする東洋の智慧と、西洋の哲学が出会った。もちろん西田の思想は不十分である。しかし、対象化されえぬ真の自己を深く掘り下げ、その底の創造的世界を発見したかれの思索の方向は、人類がこの後、共通の財産とせねばならないものだろう。
私見〜本書が「哲学のすすめ」たる所以〜
いきなりだが、NO,2以前とNO,3以後の内容の濃さが違うのは、途中で方針が変更したからであるが、特に直す気も無いので突っ込みは無用であるということにしておこう。
さて、本書が哲学のすすめたる所以というのはどこに存在するのであろうか。それは、「哲学」というものを全体的に包括している本書の内容自体もさることながら、哲学初心者にはうってつけと思われる、ある程度の内容の難解さが備わっている点であると思われる。
それはどういうことかというと、本格的な哲学書というのは抽象的な文字が主体であり、意味が捉えにくいので根気よく読まないといけないことになるだろう。また、時には書かれた時代の背景をも考慮して読まないといけないものだから、初心者がある程度の理解を伴って読みきろうと思ったら時間をかけるのも厭えないものである。
そこにおいて本書も例外無く、意味の取り難い抽象言語がばんばん出てきて読み切るのに苦労させられた(本書においては、年代別の記述なので時代背景を考える点はある程度緩和された)。本書のような入門的位置づけにおいてもこの様な状態なので、仮に本書を読みきれない人が、実際の哲学書を読むのは簡易なものを除けばまず無理である。
要するに、本書は無碍に文体を簡易に示すことはやめて、初心者に哲学を学ぶ厳しさを教え、これぐらいのレベルなら読みなさいと指導してくれているのである。
まさに初心者には最適な書といえるが、書店ではまず売ってないと思われるので、哲学に興味がある人は図書館か古本屋へ今すぐ読みに行くべき書である。
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