ブログ論評「おれの買い物」
そもそも「おれ」と言う言葉には、現代では主として同輩以下に対して用いる荒っぽい言い方。(広辞苑)という意味がある。そういうわけで一般的に言うと、世間に向けても「おれ」を使用する人は、往々にして自信過剰、悪く言えば利己主義者である。
では、ブログ「おれの買い物」ひいては、その管理人たつたつさんの場合はどうだろうか?
上記の例に違わず、確かに主観的な書き方だと思われるところもある。しかし、それを支える知識・文章力・考察力があるのもまた事実である。
それは、物理法則はいかにして発見されたか/R.P.ファインマン(訳)江沢 洋 における、一番始めのコメントからも窺われた。わたしのブログをたてつつ、その広い知識を活かした関連書籍の紹介、そしてその考察力から来るブログを一見しただけで、相手(わたし)の回答を促すような的を射たコメント。(もちろんコメント時には上記の意味を含む「おれ」を使わないで「私」をお使いになっている)
まさに、知識人とはこういった人のことであり、またその自信に裏打ちされた能力があるといっても過言ではないだろう。
そういうわけで、おれの買い物内の過去記事を見てみると、とても勉強になる記事ばかりである。そのエッセイからには奇抜な発想力が窺えるし、書籍に関してもも鋭い視点から意見を語っている。もちろん文章量も豊富なので、読み物としてもかなりの質である。ただ、少し記事を検索するのが難点であり、読者側設計とはもう一つ呼べないので、もう少しカテゴリを整理してもらいたいところである ^^
また、たつたつさんは理系と言うことで、文系のわたしにとっても、また変わった視点からの見方なのでとても刺激になる。
ということで、少なくとも今まで見た中で人柄の面でも、能力の面でも一番尊敬できるブログ・管理人さんなので、ぜひおれの買い物一読してみてはいかがだろうか。
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この記事へのコメント
ちょっと持ち上げすぎじゃない(笑)
恥ずかしいけれど、うれしくもある。
読んでいて思いついたのだけれども、こういうのもありかな。
『おれの買い物論』なぜ、おれはおれのことをおれと書くのか。『俺』でも『私』でも『僕』でもなく、ひらがなの『おれ』なのはなぜか?
書き手である私の心理的に意味があるだろうし、読む人の印象的にも他の表現とは差があると思う。
うれしい記事ありがとうございます。検索しやすくする工夫は何とかします。
>果たして生きている間に、読みたい本を全部読めるのだろうか?
私には無理ですね~~;知識が増えるたびに掛け算のように増えてこまってます。涼微さんも私と同類のよな感じですね~~
まぁ、持ち上げすぎなのはお互い様じゃないですか (笑
完全に客観的には、書けそうに無いですしね。
>『俺』でも『私』でも『僕』でもなく、ひらがなの『おれ』なのはなぜか?
そうですね、わたしも最初は一人称を何にしようか迷いましたけど、「私」では女性的ですし、結局はポピュラーな「わたし」で統一しました。
>掛け算のように増えてこまってます。
全くその通りですね。今回の「哲学のすすめ」なんかは数十冊増えましたから。
そもそも、増える量と読了の量が釣り合ってないですもんね^^;