哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO,2

posted in 00:30 2007年02月18日 by 涼微
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採点

90

項目

1、哲学を考える
2、哲学の問うもの
3、哲学の歩み
4、文献解題

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫  NO、1 の続き

認識と論理

今見ているものは「本物」か「見せかけ」か、すなわち「物質的世界」「感覚的世界」は同一のもであるのか?と考える事が出来る。そこでは、「感覚的世界」は「物質的世界」の付帯的な像ではなく、「物質的世界」にその所在する場所を与え、意味を与える母体と言うことになる。

しかしそもそも、「感覚的世界」とは別の「物質的世界」というものは存在するのだろうか?ここにおいては、「感覚的世界」とは一つの視点からの「見え姿」に過ぎず、「物質的世界」を語ると言うことは、「見え姿」の無限集合について語ることと考えられるのではないだろうか。

ここで大切なことは、「感覚的世界」と「物質的世界」の関係についての「語り方」である。そこで、「論理学」が生じることになるのである。そして、その「論証」という荒い方法において、明確な言葉・叙述を失いがちな「哲学」を明確に表現しようと試みることとなる。

言葉

言葉には知覚・行動としての手段伝達のための道具という2つの性質がある。

「知覚・行動としての手段」のための作用としては、様々な局面と状況を通じて単一の事物を指す実体化・物化としての作用と、現実の知覚的映像において区別と分離の不可能な契機を区別と分離を可能な独立体に変える区別の作用が存在する。
こうしたはたらきは、人間が環境に適応するため行動と深いつながりを持ち、しかもそういう動作的なものから一歩はなれた間接的な場面において言葉として成立している。

「伝達のための道具」は言葉の持つ本質的な意味であるが、そもそも言葉には、音声の文節によって生じたこと(分節的音声記号)、シンボルであること(象徴性)、一定の民億集団のなかで、約束されたものであること(社会契約的共同制作性)、言語体系がいくつも存在すること(言語的相対性)という性格がある。これらの性格により「伝達の道具として」活用できる。

このように、「言葉」とは人間そのものの基盤すなわち、「哲学」そのものの基盤と言えるので、「哲学」はまず言語批判でなくてはならない。しかし、これは特定の言語学説や哲学の立場に捉われるのでは無く自分自身の経験と思考で行われるものである。

3、哲学の歩み

ここでは、哲学の歩みを時代別に分けて、すなわち古代中世近世現代・の哲学と東洋の智慧について見ていくことにする。

古代の哲学〜自然と人間〜

哲学はイオニアのタレスをもって始まると言われる。彼は、「万物の根源は水である」と言い、その後イオニアにおいては生成を問うたが、それに対してピュタゴラスからのイタリアの伝統が存在する。彼は、哲学と言う言葉を導入し、また世界の秩序ある構造を問うた。その後ヘラクレトスやパルメニデスの自然学から原子論へと移ってゆく。

そして、哲学の舞台はアテネへと移り、普遍的な本質をロゴス的な問答法で捉えようとするソクラテスが現れる。しかし、ソクラテスが問答で求めたものは明確に答えることが出来ず、これを思想として形を与えたのがプラトンである。彼は、人間を超越するイデアを考案し、人間はこのイデアと自然との間に立つと言う綜合を成し遂げた。その弟子の、アリストテレスにおいてはプラトンのイデアによる上からの哲学と対照的な下からの哲学である。また、彼は形而上学を著し存在論を展開することとなる。

その後、アレクサンダー大王の統治によりギリシアのポリスは過去の物となり、哲学は宗教的色彩を帯びてゆくこととなる。

哲学のすすめ/梅原 猛・ 橋本 峰雄・藤沢 令夫 NO,3   へ続く

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この記事へのコメント

1. Posted by たつたつ   2007年02月18日 02:05
この記事の前半の部分はラッセルの『哲学入門』にかなり詳しく書いてあるよ。

ラッセルは日常的に使われている言語を論理学的な形式システムである『タイプ理論』に置き換えることに多大な貢献をした人です。

日常的に使われている言語を数字化し算術に置き換えて数学で証明した人はゲーデルです。

どんな言語でも数字にできるという発見はチューリングに引き継がれ、コンピュータの発明につながりました。

現代数学の歴史は非常におもしろいですよ。

哲学を学んでいるとおそらくラッセルとゲーデルに必ずぶち当たると思います。

私は古いものから読んでいこうと思っています。
その利点はその当時の思想家の考えを追体験できるということです。そうすることで理解が深まると思います。

次も期待ですね。
2. Posted by 涼微   2007年02月18日 04:46
ラッセルとゲーデルですか。『哲学入門』は近いうちに読むと思います。数学ももちろん抑えるつもりです。まずは、入門書からですけど。

>私は古いものから読んでいこうと思っています

古い物とはソクラテス辺りからですか?なるほど、追体験ですか。それも一計ですけど、わたしは興味あるものからばらばらに読みそうですね。

ところでそれは、次の記事の内容にも繋がるんですけど、本書で哲学史を追う限りでは、哲学の重要な位置を占める近世辺りの哲学書が面白そうですね。

カントの「純粋理性批判」やヘーゲルの「精神現象学」、少し時代は前ですけどトマス・アクィナスの「神学大全」、もちろん古代哲学書に近代哲学書と、数え上げたらきりが無いですね。

しかし、こうして何冊もリストアップしていると、果たして生きている間に、読みたい本を全部読めるのだろうか?という気になってきますね^^;

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