人間失格/太宰治
人間失格 (集英社文庫) | |
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採点
50点
あらすじ(wikipedia)
第一の手記
- 「自分」は人とは違う感覚を持っており、それに対して混乱し発狂しそうになる。それゆえにまともに人と会話が出来ない「自分」は、人間に対する最後の求愛として道化を行う。だがその「自分」の本性は女中や下男に犯されるという残酷な犯罪を語らず力なく笑っている人間であった。結果的に「自分」は欺きあう人間達に対する難解さの果てに孤独を選んでいた。
- 第二の手記
- 中学校時代、「自分」は道化という自らの技術が見抜かれそうになり恐怖する。その後旧制高校において人間恐怖を紛らわすために酒と煙草と淫売婦に浸った。そのうちに左翼思想に触れ葛藤する。結果として人妻との暖かな一夜の後に、彼女と心中未遂事件を起こしたが、生き残り罪に問われる。結果的に釈放されるが、混乱した精神状態は続く。
- 第三の手記
- 高等学校を追い出され、「自分」は破壊的な女性関係に陥る。その果てに最後に求めたはずの無垢な女性に裏切られ、再び自殺未遂を起こす。その後は訳が分からないうちにどんどん不幸になっていきアルコール中毒のようになり、モルヒネに浸っていると、家族に騙され脳病院へ入院させられる。そして自分はもはや人間ではないという事になった事を確信する。不幸も幸福もなく、ただ過ぎていくだけなのだと最後に語り自白は終わる。
読んだ動機
言わずとしれた日本の名作を今更ながら。
こんな人にお勧め
絶望に迷う人間の心理を垣間見たい人
内容のレベル
6
人間失格を好く人・嫌う人
人間失格を読んでみたが、本書に感銘を受ける人と受けない人には大きな差があると感じた。
まず、サブカル雑食手帳さんから引用の引用
心理学者の岸田秀氏曰く
「奥野健男氏によれば、『この作品は、ある性格を持って生れた人々の、弱き美しきかなしき純粋な魂を持った人々の永遠の代弁者であり、救いである』そうだが、わたしに言わせれば、『人間失格』は、この上なく卑劣な根性を『持って生れ』ながら、自分を『弱き美しきかなしき純粋な魂』の持主と思いたがる意地汚い人々にとってきわめて好都合な自己正当化の『救い』を提供する作品である。」(「ものぐさ精神分析」所収「自己嫌悪の効用」)
まさしくわたしが言いたいのもこれだ。
わたしは、あまり感銘を受けなかった方の人間だが、それはなぜか?なぜなら、本書は人生とはネガティブな事の連続であり、本書の主人公もそのネガティブという前提を盾にして人生を正当化していただけの事に過ぎないと思われたからだ。もちろん今の時代背景と当時の時代背景は、様々な面で違うであろう。
しかし、本書の主人公は望めば裕福で、快適な生活にたどり着けるところまで来てたんじゃないかという時期もあった。しかし、結局はネガティブな人生が自分の生き場として捉えていたので、客観的に見て堕落していく人生に終止符を打つことは出来なかったのであろう。もちろん当の本人は心のどこかでそういった人生の方がいいと思っていたのかもしれないし、または気付いたときにはもうその人生から抜け出すことが出来ない状態だったのかもしれない。
そこで、本作に感銘を受ける人とは、人生をネガティブに捉え、努力すること等のポジティブな感情を心のどこか嫌うことを本作で正当化してくれたと感じる人間なのではないだろうかと思われる。
「お前に何が分かる」と言われそうだが、ネガティブな感情の大半は逃げでしかなく、またその逃げにより、自分が特別な人間だと思っているのか知らないが、案外ネガティブさは心地よいものだったりする。
もちろん、わたしもたまにはネガティブな感傷に浸ることがあるのだが、一方でそれは、別に意味があることではないと思っていたりもする。さらに、それならポジティブに創造的な事をしたらどうか?と自問自答したりもする。
まぁ結局は、他人ごとだから止めはしないけど、ネガティブ感情に浸っている暇があったら、他に何かすることがあるんじゃないか?と自分自身にも問いかけつつ、本書に共感している人にも問いかけてみよう。
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この記事へのコメント
>文学とはしばしばポジティブな感覚よりもネガティブな感覚の方が優れた作品
そうですね!しかし、どうもこういった種類のネガティブさは好きになれないんですよね^^;それは何故かと言うと、自分は結構人生に楽観的なんですよね。けれどもこの楽観さは無知ゆえ、また若さゆえの事かもしれませんから、今後こういった作品の捉え方が変わるかもしれませんね。
>突き放して批評的に読む
またまた自分語りで申し訳ないですけど、あんまりただ批判するだけっていうのも好きじゃないんですよね。というのも、それは結局一方向からの見方に過ぎないわけですから。そう考えると、その批判にも理由があるわけですから、よくよく考えると、受け入れられるものってのいうのも多く存在するんですよね。ただこの記事はちょっと説明不足かもしれませんね。
こちらこそ濃いコメント有り難う御座いますm(__)m
前回のコメントに少し補足しますと、「突き放して批評的に読む」というところなんですが、必ずしも批判するだけの読み方ということではなく、様々な角度から評価してみるという意味、即ち肯定的意味合いと否定的意味合いの両方をそこから汲み取って頂ければ幸いです。その意味で貴エントリーは説明不足どころか極めて「批評的」に書かれていると思いました。こちらのコメントこそ説明不足だったようで反省しています。
そういうことだったんですね!少し勘違いしてました。
というのも、前のコメントを見てみると分かるんですが、「批評」ではなくて「批判」と勝手に脳内変換してますね^^;
ということは、自分が書こうとしている意図が分かって頂けてたのに、こちらの理解力不足でお手を煩わせてしまって申し訳ないです。
ブログはあんまり更新していらっしゃらない様なので、お忙しい身だと思われますが、たまにふと当ブログに立ち寄って頂けたら嬉しいです。
重ね重ねコメント有り難う御座いましたm(__)m
>「批評」ではなくて「批判」と勝手に脳内変換
日本語というのは本当にややこしいですね。でもこちらの言わんとするところが解って頂けて光栄です。
>ブログはあんまり更新していらっしゃらない様なので、お忙しい身だと思われますが、
いえいえ別に忙しい身ではないのですが、ただズボラなだけで(笑)。これからまたちょくちょくお邪魔させて頂きますので今後ともよろしく。
>日本語というのは本当にややこしいですね
ほんとですね。脳みそというのは勝手に文字を修正してるらしいですから、日ごろ良く目にする「批判」に勝手に変わってたみたいですね。
しかし、コメント欄が人間失格だらけになってますよ(笑
こちらからも訪問させてもらいますので、またよろしくお願いしますm(__)m
人間失格とグッドバイを読んだ記憶がある。
そのころは影響を受けたと思う。
なんか『かっこいい』と感じたのかな。
同じ時期に坂口安吾の『堕落論』を読んだ。たしか、坂口安吾と太宰治は仲が悪かったはず。
小林秀雄(かなり怪しいが)に言わせると二人は本質的には同じだそうです。
その時期に村上春樹とか村上龍とか読んでいたらそっちのほうが影響力が強かったかもしれない。
思春期だから、なんとなく偉そうなこと書いている人に影響を受けやすかっただけなのかな。
でも、最近ちょっと読んでみたら、文学としてはありだけど、学者としては?という印象でした。
フロイトかぶれには太宰は陳腐なステレオタイプに見えるのだろうね。『ものぐさ精神分析』はけっこうおすすめかな。感情的過ぎるけれど、いいアンチテーゼ提示してる。決して岸田秀を心理学と考えてはいけないということは言い添えておくね。
わたしも「文学とは何たるか」をまだまだ分かってない、今の時期に読んだので、将来また見方が変わるかもしれません。
といのも、教員推薦図書なんかで推薦されてる本(夏目漱石、三島由紀夫etc)というのはもともと大人向けに書かれたものなので、そもそも文学を分かってない時期に読んで面白いわけが無い、というのをどこかで見たことがある気がします。
もっとも、本書は文学以前にそもそもの方向性にいまいち共感出来なかったですけど、これも人生経験が浅い所以なのかもしれません。
『ものぐさ精神分析』も例の如く?エクセルにリストアップ済みですけど、一通り哲学書を読んでからになりそうな気配です。
しかし、今日目次ぐらいはチラッと見てみようかな ^^
彼は本当に人というものを愛していた、だからこそ、愛というものを忘れたのだし、それは自己では許すことは出来ない罪であったのだと思う、分からないなら、それは幸せなことです。
もう、約一ヶ月前に読んだ本なので内容ははっきりと覚えてないのですが、「字」と言う媒体だけで、作者の気持ちをそこまで言い切れるのはすごいですね ^^
おそらく、わたしの捉えかたの方が間違えている確立は高いのでしょうけど、小説の捉え方というのは所詮、主観が大きく混じるものです。
では、次読む時があったら絶対に自分を許せなかったという観点で読んでみましょう。