涼宮ハルヒの考察 〜ライトノベル編〜

posted in 21:40 2007年01月11日 by 涼微
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涼宮ハルヒの考察 〜アニメ編〜から続く

〜ライトノベル編〜

初めに
このライトノベルの考察においては、二種類の視点がある。といのは、先にライトノベルを読んだか、それともアニメから入り、後にライトノベルを読んだかという視点だ。ここでは、後者の視点から見ていくこととしよう。

アニメとの違い
内容においては、アニメとあまり違いがないので違和感なくライトノベルに入ることが出来た。というのも、アニメにおいて、本作の一人称であるキョンがナレーションしている言葉がまさに、ライトノベルの文ほぼそのままなので、先にアニメで見た映像がすんなり頭に浮かび、容易に読み進むことが出来た。よって、アニメで放映した部分はほぼストーリーをなぞるだけという感じだった。

しかし、逆に言えばアニメ製作者がきちんと原文を読みこみ、細かいところまで表現した結果と言うことが出来るだろう。また、すんなりと原作の世界観に入れた事で、アニメで放映されていない部分も読んでみようという衝動に駆られたのではないかと思われる。



ストーリー性
ストーリー性自体は割と平易である。どこかで読んだことがあるような話であったことも否めない。しかし、もちろん独創的なストーリーの小説もあるが、わたしはほとんどの小説というのは、似たようなストーリーが巡り巡っているものであると思っている。本作品も、その循環に入っていた感じだが、では、この「涼宮ハルヒ」はどの様な点において、他の小説との良い方向の差異が見られたかというと、次に挙げる二点ではないだろうか。

独特な文体
文体は、谷川流氏独特のものが随所に見られていたのではないかと思う。この作品は準主人公であるキョンの一人称であり、本文はそのキョンのセリフ・心の声で大半を占められている。そこでの、谷川氏の巧妙な言い回しやぶっ飛んだ比喩における魅力的な点が、最もこの小説がうけた点ではないのだろうかと思っている。

また、谷川氏は麻雀が好きなこともあり、実際麻雀をしているシーンがあったり、オーラス(終局)などの麻雀用語がたまに使われているのも、麻雀好きなわたしにとってはなじみやすい点であった。



キャラクター性
こういったシリーズものが売れる鉄則としては、キャラクター性が個性豊かなことが挙げられるのではないだろうか。この小説もその例に漏れることなく、元気はつらつな主人公である涼宮ハルヒ、一般的にいう萌えキャラ?の朝比奈みくる、静かな読書家である長門有紀、ハンサムな助言キャラの小泉一樹、そして主人公に振り回されどたばたに巻き込まれるキョンという、見事にバランスがとれて、かつ個性的な主要登場人物によってこの作品は支えられている。

さらに、サブキャラにも一癖加えて、主要登場人物と同程度に魅力的にしているところも見逃せない点である。

〜音楽編〜
思い入れのある作品で使われる音楽というのは、往々にして客観的な判断がしにくいので、気に入らないのは稀ではなかろうか。



以上を考慮した結論
たしかに、文体・キャラクター性に惹かれた部分はあるが、結局は、初のライトノベルということで、思い入れが強かったというのが一番の要因であろう。また二番目の要因として考えられるのは、先に映像から入ったことで、すっかり姿や声等のイメージが定着し、生きた文章の様に感じられたことである。

ということは、〜アニメ編〜でも書いた通り、特に「涼宮ハルヒ」でなくてはいけなかったということでもない気がする。

しかし、上の二つの要因が重なった作品がこの「涼宮ハルヒ」で良かったのではないかと心の中では思っているのだろう。なぜなら、結局はこの話題の記事を二つ足すと、少なくとも現時点で、当ブログ一の長文となっているのだから。

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ソース

ニュー速クオリティ


まんたんウェブ


なつみかん


涼宮ハルヒの分析


ピヨ速





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