行事におけるマインドコントロール性

posted in 16:33 2007年01月01日 by 涼微
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今年一発目から、なんだかネガティブな雰囲気のする雑記で申し訳ないのだが、正月等の行事におけるマインドコントロール性を考察してみよう。

いきなり結論
何も考えずに行事を楽しむのも危険な香りがするが、正月ぐらいは年に一度の事だから何も考えずに楽しんだほうがいいですよ。

以下考えた事、年始早々考えるのがいやな人は読まないほうが無難ですよ^^

                 ↓

序章
年末年始になると特に顕著に現れる傾向として、毎年思っていることがあるのだが、なぜみんな画一的な動きをするのだろか?ということである。これは、ある種のマインドコントロールめいたものがあり、少し怖い気がするので一度立ち止まって考えてみることにしよう。

マインドコントロールの特徴
まずは、行事におけるマインドコントロールの特徴について考えてみよう。その特徴とは、ある集団における大半の人が同じような行動・考え方になることである。これは、一々例を出すまでもないが、正月を例にして考えてみよう。正月における、大半の画一的な行動とは、学校・会社が休みで、実家に帰省し、家の中でのんびりとすごす。または、初詣に出かけるなど日常では、することがない行動がいろいろと考えられる。

マインドコントロールの危険
この画一的な行動を取る事には、ある種の危険が少なくとも2つ潜んでいる。一つ目は、何も考えずにみんなと同じ行動を取ることで、その行動が本当に自分のしたい事であるのかどうか判断が出来ていない点である。そして、もう一つは、みんなが同じ行動を取っているので本当に正しいことかどうかが曖昧になる点である。

画一性の動機
では、なぜ集団で同じことをするのだろうか?ここでも最低二つは挙げられる。一つ目は単に集まるのが楽しい場合で、もう一つはある種の習慣になっていて半ば強制的になっている場合である。

主張
ここで、わたしの勝手な主張が入るのだが、何も考えずにみんなと同じことをするのは危ないことではないかということだ。一歩引いて、みんなが同じことをやっているのを見ると少し気味が悪いような感じがする。それは、行事を楽しめてないからだという反論が来そうだが、まさにその通りで、これは一歩引いた視点からの主張である。

提案
そこで、提案したいのだが、正月はいいにしても、集団みんながしているからといって、そこに何にも考えずに乗っていくのはやめて欲しいということだ。一度、一歩引いた視点から考えてみて自分で結論を出して乗っていっても遅くはないのだから。

まぁ、一日ぐらい帰省するのも悪くないかと考えつつ人気ブログランキングに参加中。



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この記事へのコメント

1. Posted by つぶ庵   2007年01月02日 09:32
涼微さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

涼微さんの視点は大変面白いですね。
投稿記事を読んでいて、
「百匹目の猿」の話を思い出しました。
(投稿者の名前の「つぶ庵」にリンクを埋めておきました)

人間は字のごとく、「人」の「間」で生きているので、
群れをなすと、安心感が生まれるのだと思います。
だから集団行動をとってしまうのは、
一種の「性」なんでしょうね。

私も「いきなり結論」に賛成です。

ては、今年もよろしくお願いします。m(_ _)m
2. Posted by 涼微   2007年01月02日 12:31
明けましておめでとうございますm(_ _)m

そういえば、自分も昔「百匹目の猿」の話を聞いて不思議に思いましたね。
集団に広がるのはまだ理解できるんですけど、接触のない仲間に伝播するのは信じられなかったんですが、リンク先を読んでみたらやっぱり創作だったんですね! (笑

集団行動を取るのは、やはり性なんですかねぇ…記事にも書きましたが、一歩引いて見るとこれほど奇妙なことは、そうそうないですけれども。

ではこちらこそ、今年もよろしくお願いしますm(_ _)m

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