姑獲鳥の夏/京極 夏彦
posted in 13:02 2006年12月30日 by 涼微
採点
90点
内容
作者の知識を豊富に使った怪奇小説
あらすじ(「BOOK」データベースより)
この世には不思議なことなど何もないのだよ―古本屋にして陰陽師が憑物を落とし事件を解きほぐす人気シリーズ第一弾。東京・雑司ケ谷の医院に奇怪な噂が流れる。娘は二十箇月も身籠ったままで、その夫は密室から失踪したという。文士・関口や探偵・榎木津らの推理を超え噂は意外な結末へ。
読んだ動機
京極氏の小説は面白いと評判だったため
こんな人にお勧め
京極夏彦小説の一作目を読みたい人
内容のレベル
8
京極小説の考察
今回初めて、京極小説を読む機会を得たのだが、率直な感想は、過去読んだ小説の中でトップを争うぐらいくらい面白かった。では、どんな点が面白かったのか考察していこう。
専門知識による面白さ
まず挙げられるのは、彼の専門的な知識に拠る、新たな発見に起因するものである。この作品における専門知識は主に、脳の働き、妖怪の文化・陰陽道の二つに大別できるのだが、それぞれに深い理論がつまっており、知的欲求が満たされることになった。
脳の働きにおいては認識論とでも呼ぶべき理論が展開されていた。これは、簡潔にいうと、なんらかの刺激の入力に対して脳が処理を行うことで、出力に変わるということである。例えば、視覚からある物体に対する刺激が入力され、脳がそのことについて処理を行うと、実際目でその物体が見えるという出力が起こるということである。
この理論は興味深いものではないだろうか。というのも、今見ていること、聞いていることは、実は脳の中で作られた幻想かもしれないということになる。つまり、実際存在しているある入力に対し、脳がなんらかの理由でそれを処理しないで、出力にも出てこないという事である。
そう思うと、すべての事に疑問が生まれてくる。例えば今見ている世界は、自分の都合のいいように脳が解釈しているだけの世界で、他の人が見ている世界とは全く違ったものなのではないか?という疑問だ。こういった疑問を際限なく続けていると本書に出てくる関口君がいったように何も信じられなくなってくる。
しかし、こういった疑問は他の点も示唆している。例えば先ほど挙げた疑問でいえば、自分が見ている世界と他人が見ている世界は違う、要するに、自分が考えていることがすべて正しいというのは、全くもって見当はずれな考え方であると。しかし、このことが分かってない人がいかに多いことか。自分が正しいと勘違いし、相手の意見が受け入れられないで、ひどい時には戦争にまで発展するのである。よって本書を読んで少しでも意見の相違に気付いたらどうだろうと言いたい。
さて、次に妖怪文化と陰陽道についてだが、こういったものは往々にして、様々な考えつかない、または考えたくない現象を代弁しているものである。本書では座敷わらしの例が採り上げられていた。これは、ある共同体の中で貧富の格差が起こった時にその格差を代弁するための妖怪である。というのも、貧しいものにとって、いきなり富んでいる者が出ることは様々な負の感情が出るものと思われる。そこで座敷わらしのせいにし、富んだ者が出た現象を抽象的に表現することにしたのである。
そして、そういった原因もだんだん時間が経つにつれ、よく分からなくなり、その対象になった家に対する負の感情だけが残ることで、以前と違う根も葉もない噂がたち、その場所を発つことでしか負のスパイラルを逃れることが出来なくなるのである。
ストーリーの展開性による面白さ
次に挙げられのはこれではないだろうか。具体的に言うと、次々に興味をそそる目新しいことが起こるので、先が気になることにより、一気に数百ページ読み上げた部分などもあった。これは、文章の運びがうまいことも示唆している。
以上、二点が今作におけるわたしの中で主要な京極小説の面白さだが、果たして次作もこの要素は、続いているのか、是非読んでみたいところである。
最後に
今更で恐縮だが、今作が彼のデビュー作だと聞く。そして、確かに新人離れしているところがある。これなら、熱烈なファンも付くはずである。
次の小説も京極作品しようと考えつつ人気ブログランキングに参加中。
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1. 『姑獲鳥の夏』 京極夏彦著 感想 [ よろず屋の猫 ] 2006年12月30日 20:12
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