論理

相対化と論理化の行き着く先

posted in 08:39 2007年06月30日 by 涼微
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過去幾人もの先人が試行錯誤してきた様々な思想を取り入れこの世の中を相対化する事により人生の制約から解放され、言語や数字を厳密に扱い諸事象を論理化することが出来たなら思考基盤は粗方完成した事になる。この思考基盤の完成により前準備が整った暁には諸所の学問体系というエッセンスを取り入れ未だ嘗て人類が到達し得なかった領域に踏み込まんと志すであろう。

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ゲーデルからの人物相関

posted in 05:46 2007年06月25日 by 涼微
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参考リンク

松岡正剛の千夜千冊 『ゲーデル再考』

(以下リンクはすべて(wikipedia)

クルト・ゲーデルとは、「数学は自己の無矛盾性を証明できない」という不完全性定理を発表した事で有名な数学者であるが、この不完全性定理というのは当時数学を形式化すること、すなわちその証明を形式化することで、数学全体の完全性と無矛盾性を示そうというしたダフィット・ヒルベルトジョン・フォン・ノイマンの試みをを打ち砕くものであった。また、そもそも不完全性定理というのはアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドバートランド・ラッセルによる『プリンキピア・マテマティカ』を応用したものであったというのも興味深い。

ところでゲーデルはオーストリー=ハンガリー二重帝国に生まれ後にウィーン大学へと進んだ。その頃のウィ−ン大学ではハンス・ハーンによって設立されていたウィーン学団という協会がありゲーデルは関心を抱くことになる。そのメンバーにはカール・メンガー、フィリップ・フランク、オットー・ノイラート、ルドルフ・カルナップ、さらに客分としてカール・ポパーとルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインと先輩格のルートヴィッヒ・ボルツマンといった錚々たる顔ぶれが揃っていた。また、このウィーン学団は論理実証主義を標榜としていて、物理学・熱力学・数学・社会学・言語学等を混ぜ合わせたまさに「知の巣窟」であった。

その後ウィーン学団はナチスによるオーストリア併合とともに消滅し、ゲーデルはアメリカに渡る事になる。そこにはロバート・オッペンハイマー、フォン・ノイマンもヘルマン・ワイルもアルベルト・アインシュタインもいた。特に家族ぐるみの親交を持ったのはアルベルト・アインシュタインであった。その後ライプニッツやフッサールの研究に打ち込み「ゲーデルの神の存在証明」等を執筆後72歳でこの世を去った。

私感

GEBに関する情報を探していたら、寧ろその周辺情報に目に入ってしまったのだが、やはり同時期の世界の天才というのは、巡り巡って何処かで出会うものなのだろうか。上記だけでもゲーデル含め10人弱は出会った事になっている。類は友を呼ぶと言われるが彼らの間では日夜知的な討論が繰り返されたことだろう。特にヘーゲルとアインシュタインの会話といったら日常会話一つととってもどれ程高度な遊びに満ちていた事だろう。

世の偉人との才能も同年齢における差も最早愕然と開いているのは了解済みであり、世の中の大多数と同様に知能においてちっぽけな役にしか立たない事は自明だけれども、それでも自分のためにも後世のためにも世の中の諸事情を解明するため日々膨大な量の文字の羅列の理解と世の中の観察をするのみであろう。

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