小説

空の境界 上/奈須 きのこ

posted in 00:04 2007年02月14日 by 涼微
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あらすじ(「BOOK」データベースより)
二年間の昏睡から目覚めた少女・両儀式が記憶喪失と引き換えに手に入れた、あらゆるモノの死を視ることのできる“直死の魔眼”。浮遊する幽霊の群れ。人の死を蒐集する螺旋建築…。この世の存在のすべてを“殺す”、式のナイフに映る数々の怪異。非日常の世界は、日常の世界と溶け合って存在している―。―あの伝説の同人小説の講談社ノベルス化が満を持して成就。 

採点

70点

(書評)空の境界

本書は良くも悪くも独特な特徴を持った文体・ストーリーであるので、賛否両論となっているのも容易に頷ける。

文体においては空虚に巣食う魔さんで指摘されている通り、確かに意味不明な表現が多々あり、適切でない表現と言われても仕方が無い所もあるのは否めない。しかし、その言語に詳しい人にとっての理解し難い表現も、わたしにとっては深い文章だとは言わないまでも心地良く思われた。

というのも、奈須氏は敢えて意識的にこの様な、良く言えば凝った文章にして、自分の世界観を表現しようと腐心したのだろう。もちろん見方によっては独りよがりな読者寄りではない文体と思われてもしょうがないのだが、わたしみたいにこういった難解さ、見る人から見れば稚拙さの上に立つなんとも言えない文体を好む人にとっては本作品を支持している理由となり得る。(笠井氏はどうだか知らないが)

上記の「敢えて」というのは、分かり易く書こうと思えば書けるのだが、それでは彼の世界観も反映されず物足りない小説になるだけでなくまた、上巻だけでも100ページは少なくなってしまい読みごたえの上でもいまいちになるのではないだろうか。

ところで、一般的に多くの人に受け入れられる小説と言うのは、表現が容易ないし、回りくどくなくてすらすら読める小説であろう。なぜなら、いちいち難解な表現に立ち止まらなくてよいのでストレスを感じずに読み進めるからであるが、ではなぜ難解な表現のこの小説は一般受けしているのだろうか?

その答えはストーリー性や設定等の内部要因にあると思われる。主線は不思議なキャラ設定の両儀式という少女が、“直死の魔眼”という非日常的能力を持ち彼女にとっての敵を倒していくと言うストーリーであり、複線として登場するサブキャラもどこか一般受けしそうな特異な個性を持っている。ちょっとした性的な描写や自殺等の一般に社会的な禁忌に触れられているのもその一因だろう。また、文体は難解とはいえ作品内の描写を拾えば、映像は頭の中に割と浮かぶので、ストーリーを外れることもない。

しかし、わたしにとってはストーリー性・設定自体は好きにはなれなかった。これは、奈須氏の構成が悪いと言うよりわたしの個人的な好き嫌いのせいであろう。というのもこういったファンタジー小説は登場キャラに自分自身を投影して楽しむものだと思われるが、今作ではっきりした事のだが、あいにく、非現実的な設定に空想を働かせる程の想像力は持ち合わせていないようである。

まだ、下巻は読んでないのだがあちら読み終わったら全体的な感想を書くことにしよう。

空の境界 上 の書評

無秩序と混沌の趣味がモロバレ書評集

徒然なるままに・・・

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人間失格/太宰治

posted in 13:44 2007年01月21日 by 涼微
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人間失格 (集英社文庫)
人間失格 (集英社文庫)太宰 治

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おすすめ平均 star
star心の奥をえぐられるよう
star陽光から逃れるように
starこんな奴を世に出しちゃいかん、親のせいだよ。

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採点

50点

あらすじ(wikipedia 

 第一の手記

「自分」は人とは違う感覚を持っており、それに対して混乱し発狂しそうになる。それゆえにまともに人と会話が出来ない「自分」は、人間に対する最後の求愛として道化を行う。だがその「自分」の本性は女中や下男に犯されるという残酷な犯罪を語らず力なく笑っている人間であった。結果的に「自分」は欺きあう人間達に対する難解さの果てに孤独を選んでいた。
第二の手記
中学校時代、「自分」は道化という自らの技術が見抜かれそうになり恐怖する。その後旧制高校において人間恐怖を紛らわすために酒と煙草と淫売婦に浸った。そのうちに左翼思想に触れ葛藤する。結果として人妻との暖かな一夜の後に、彼女と心中未遂事件を起こしたが、生き残り罪に問われる。結果的に釈放されるが、混乱した精神状態は続く。
第三の手記
高等学校を追い出され、「自分」は破壊的な女性関係に陥る。その果てに最後に求めたはずの無垢な女性に裏切られ、再び自殺未遂を起こす。その後は訳が分からないうちにどんどん不幸になっていきアルコール中毒のようになり、モルヒネに浸っていると、家族に騙され脳病院へ入院させられる。そして自分はもはや人間ではないという事になった事を確信する。不幸も幸福もなく、ただ過ぎていくだけなのだと最後に語り自白は終わる。

読んだ動機

言わずとしれた日本の名作を今更ながら。 

こんな人にお勧め

絶望に迷う人間の心理を垣間見たい人 

内容のレベル     

         6

人間失格を好く人・嫌う人

人間失格を読んでみたが、本書に感銘を受ける人と受けない人には大きな差があると感じた。

まず、サブカル雑食手帳さんから引用の引用

 心理学者の岸田秀氏曰く
「奥野健男氏によれば、『この作品は、ある性格を持って生れた人々の、弱き美しきかなしき純粋な魂を持った人々の永遠の代弁者であり、救いである』そうだが、わたしに言わせれば、『人間失格』は、この上なく卑劣な根性を『持って生れ』ながら、自分を『弱き美しきかなしき純粋な魂』の持主と思いたがる意地汚い人々にとってきわめて好都合な自己正当化の『救い』を提供する作品である。」(「ものぐさ精神分析」所収「自己嫌悪の効用」)

まさしくわたしが言いたいのもこれだ。

わたしは、あまり感銘を受けなかった方の人間だが、それはなぜか?なぜなら、本書は人生とはネガティブな事の連続であり、本書の主人公もそのネガティブという前提を盾にして人生を正当化していただけの事に過ぎないと思われたからだ。もちろん今の時代背景と当時の時代背景は、様々な面で違うであろう。

しかし、本書の主人公は望めば裕福で、快適な生活にたどり着けるところまで来てたんじゃないかという時期もあった。しかし、結局はネガティブな人生が自分の生き場として捉えていたので、客観的に見て堕落していく人生に終止符を打つことは出来なかったのであろう。もちろん当の本人は心のどこかでそういった人生の方がいいと思っていたのかもしれないし、または気付いたときにはもうその人生から抜け出すことが出来ない状態だったのかもしれない。

そこで、本作に感銘を受ける人とは、人生をネガティブに捉え、努力すること等のポジティブな感情を心のどこか嫌うことを本作で正当化してくれたと感じる人間なのではないだろうかと思われる。

「お前に何が分かる」と言われそうだが、ネガティブな感情の大半は逃げでしかなく、またその逃げにより、自分が特別な人間だと思っているのか知らないが、案外ネガティブさは心地よいものだったりする。

もちろん、わたしもたまにはネガティブな感傷に浸ることがあるのだが、一方でそれは、別に意味があることではないと思っていたりもする。さらに、それならポジティブに創造的な事をしたらどうか?と自問自答したりもする。

まぁ結局は、他人ごとだから止めはしないけど、ネガティブ感情に浸っている暇があったら、他に何かすることがあるんじゃないか?と自分自身にも問いかけつつ、本書に共感している人にも問いかけてみよう。

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涼宮ハルヒの考察 〜ライトノベル編〜

posted in 21:40 2007年01月11日 by 涼微
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涼宮ハルヒの考察 〜アニメ編〜から続く

〜ライトノベル編〜

初めに
このライトノベルの考察においては、二種類の視点がある。といのは、先にライトノベルを読んだか、それともアニメから入り、後にライトノベルを読んだかという視点だ。ここでは、後者の視点から見ていくこととしよう。

アニメとの違い
内容においては、アニメとあまり違いがないので違和感なくライトノベルに入ることが出来た。というのも、アニメにおいて、本作の一人称であるキョンがナレーションしている言葉がまさに、ライトノベルの文ほぼそのままなので、先にアニメで見た映像がすんなり頭に浮かび、容易に読み進むことが出来た。よって、アニメで放映した部分はほぼストーリーをなぞるだけという感じだった。

しかし、逆に言えばアニメ製作者がきちんと原文を読みこみ、細かいところまで表現した結果と言うことが出来るだろう。また、すんなりと原作の世界観に入れた事で、アニメで放映されていない部分も読んでみようという衝動に駆られたのではないかと思われる。



ストーリー性
ストーリー性自体は割と平易である。どこかで読んだことがあるような話であったことも否めない。しかし、もちろん独創的なストーリーの小説もあるが、わたしはほとんどの小説というのは、似たようなストーリーが巡り巡っているものであると思っている。本作品も、その循環に入っていた感じだが、では、この「涼宮ハルヒ」はどの様な点において、他の小説との良い方向の差異が見られたかというと、次に挙げる二点ではないだろうか。

独特な文体
文体は、谷川流氏独特のものが随所に見られていたのではないかと思う。この作品は準主人公であるキョンの一人称であり、本文はそのキョンのセリフ・心の声で大半を占められている。そこでの、谷川氏の巧妙な言い回しやぶっ飛んだ比喩における魅力的な点が、最もこの小説がうけた点ではないのだろうかと思っている。

また、谷川氏は麻雀が好きなこともあり、実際麻雀をしているシーンがあったり、オーラス(終局)などの麻雀用語がたまに使われているのも、麻雀好きなわたしにとってはなじみやすい点であった。



キャラクター性
こういったシリーズものが売れる鉄則としては、キャラクター性が個性豊かなことが挙げられるのではないだろうか。この小説もその例に漏れることなく、元気はつらつな主人公である涼宮ハルヒ、一般的にいう萌えキャラ?の朝比奈みくる、静かな読書家である長門有紀、ハンサムな助言キャラの小泉一樹、そして主人公に振り回されどたばたに巻き込まれるキョンという、見事にバランスがとれて、かつ個性的な主要登場人物によってこの作品は支えられている。

さらに、サブキャラにも一癖加えて、主要登場人物と同程度に魅力的にしているところも見逃せない点である。

〜音楽編〜
思い入れのある作品で使われる音楽というのは、往々にして客観的な判断がしにくいので、気に入らないのは稀ではなかろうか。



以上を考慮した結論
たしかに、文体・キャラクター性に惹かれた部分はあるが、結局は、初のライトノベルということで、思い入れが強かったというのが一番の要因であろう。また二番目の要因として考えられるのは、先に映像から入ったことで、すっかり姿や声等のイメージが定着し、生きた文章の様に感じられたことである。

ということは、〜アニメ編〜でも書いた通り、特に「涼宮ハルヒ」でなくてはいけなかったということでもない気がする。

しかし、上の二つの要因が重なった作品がこの「涼宮ハルヒ」で良かったのではないかと心の中では思っているのだろう。なぜなら、結局はこの話題の記事を二つ足すと、少なくとも現時点で、当ブログ一の長文となっているのだから。

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ソース

ニュー速クオリティ


まんたんウェブ


なつみかん


涼宮ハルヒの分析


ピヨ速



グレート・ギャツビー /スコット・フィッツジェラルド (訳)村上春樹

posted in 14:55 2007年01月10日 by 涼微
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グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)Francis Scott Fitzgerald Francis Scott Fitzgerald 村上 春樹

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おすすめ平均 star
starぼんやりとした霧のような
starすごく読みやすい訳になっていると思います。
star文学としても娯楽としてもお薦め

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内容(「MARC」データベースより)
繊細に鮮やかに描写された情景と、精緻に、多義的に言語化された情念や感情に彩られた、哀しくも美しいひと夏の物語…。村上春樹が人生で巡り会った最も大切な小説が、新しい翻訳で鮮やかに甦る!

あらすじ
1920年代アメリカ。富裕階級が集うニューヨーク郊外で、華々しい生活を送る男・ギャツビー。かつての恋人との再会を果たし、その財力によって失われた過去の時間と愛を取り戻そうとするが……。ジャズ・エイジの輝きと虚しさを描いた、フィッツジェラルドの不朽の名作。

この本のおすすめ書評@ブログ

村上春樹氏が翻訳した、アメリカ文学を代表する本書!さっそく、ブログを巡ってみよう。

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感想
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意見
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なるほど、偉大なるギャツビーさんという意味だったのか!

さて、あの村上氏が思い入れの一冊、ぜひ一読いかがでしょうか?

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姑獲鳥の夏/京極 夏彦

posted in 13:02 2006年12月30日 by 涼微
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採点
90点

内容
作者の知識を豊富に使った怪奇小説

あらすじ(「BOOK」データベースより)
この世には不思議なことなど何もないのだよ―古本屋にして陰陽師が憑物を落とし事件を解きほぐす人気シリーズ第一弾。東京・雑司ケ谷の医院に奇怪な噂が流れる。娘は二十箇月も身籠ったままで、その夫は密室から失踪したという。文士・関口や探偵・榎木津らの推理を超え噂は意外な結末へ。

読んだ動機
京極氏の小説は面白いと評判だったため

こんな人にお勧め
京極夏彦小説の一作目を読みたい人

内容のレベル
    8

京極小説の考察
今回初めて、京極小説を読む機会を得たのだが、率直な感想は、過去読んだ小説の中でトップを争うぐらいくらい面白かった。では、どんな点が面白かったのか考察していこう。

専門知識による面白さ
まず挙げられるのは、彼の専門的な知識に拠る、新たな発見に起因するものである。この作品における専門知識は主に、脳の働き、妖怪の文化・陰陽道の二つに大別できるのだが、それぞれに深い理論がつまっており、知的欲求が満たされることになった。

脳の働きにおいては認識論とでも呼ぶべき理論が展開されていた。これは、簡潔にいうと、なんらかの刺激の入力に対して脳が処理を行うことで、出力に変わるということである。例えば、視覚からある物体に対する刺激が入力され、脳がそのことについて処理を行うと、実際目でその物体が見えるという出力が起こるということである。

この理論は興味深いものではないだろうか。というのも、今見ていること、聞いていることは、実は脳の中で作られた幻想かもしれないということになる。つまり、実際存在しているある入力に対し、脳がなんらかの理由でそれを処理しないで、出力にも出てこないという事である。

そう思うと、すべての事に疑問が生まれてくる。例えば今見ている世界は、自分の都合のいいように脳が解釈しているだけの世界で、他の人が見ている世界とは全く違ったものなのではないか?という疑問だ。こういった疑問を際限なく続けていると本書に出てくる関口君がいったように何も信じられなくなってくる。

しかし、こういった疑問は他の点も示唆している。例えば先ほど挙げた疑問でいえば、自分が見ている世界と他人が見ている世界は違う、要するに、自分が考えていることがすべて正しいというのは、全くもって見当はずれな考え方であると。しかし、このことが分かってない人がいかに多いことか。自分が正しいと勘違いし、相手の意見が受け入れられないで、ひどい時には戦争にまで発展するのである。よって本書を読んで少しでも意見の相違に気付いたらどうだろうと言いたい。

さて、次に妖怪文化と陰陽道についてだが、こういったものは往々にして、様々な考えつかない、または考えたくない現象を代弁しているものである。本書では座敷わらしの例が採り上げられていた。これは、ある共同体の中で貧富の格差が起こった時にその格差を代弁するための妖怪である。というのも、貧しいものにとって、いきなり富んでいる者が出ることは様々な負の感情が出るものと思われる。そこで座敷わらしのせいにし、富んだ者が出た現象を抽象的に表現することにしたのである。

そして、そういった原因もだんだん時間が経つにつれ、よく分からなくなり、その対象になった家に対する負の感情だけが残ることで、以前と違う根も葉もない噂がたち、その場所を発つことでしか負のスパイラルを逃れることが出来なくなるのである。

ストーリーの展開性による面白さ
次に挙げられのはこれではないだろうか。具体的に言うと、次々に興味をそそる目新しいことが起こるので、先が気になることにより、一気に数百ページ読み上げた部分などもあった。これは、文章の運びがうまいことも示唆している。

以上、二点が今作におけるわたしの中で主要な京極小説の面白さだが、果たして次作もこの要素は、続いているのか、是非読んでみたいところである。

最後に
今更で恐縮だが、今作が彼のデビュー作だと聞く。そして、確かに新人離れしているところがある。これなら、熱烈なファンも付くはずである。

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手紙/東野 圭吾

posted in 17:38 2006年12月22日 by 涼微
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採点
65点

内容
主人公の兄が、殺人をおかしてしまうのだが、その後主人公がどうなって言ったかを追っていく小説。

あらすじ(「BOOK」データベースより)
強盗殺人の罪で服役中の兄、剛志。弟・直貴のもとには、獄中から月に一度、手紙が届く…。しかし、進学、恋愛、就職と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、「強盗殺人犯の弟」という運命が立ちはだかる苛酷な現実。人の絆とは何か。いつか罪は償えるのだろうか。犯罪加害者の家族を真正面から描き切り、感動を呼んだ不朽の名作。

読んだ動機
(あまり好きな動機ではないが)売れてたから。

こんな人にお勧め
1、東野小説を読みたい人
2、映画化してるらしいから話題についていきたい人

内容のレベル
    7

加害者の家族について

初めに

例えば、殺人事件が起こって、犯人をニュースで見た時、その家族にまで思いをめぐらせる人はどれくらいいるだろうか?

薄情だと思うが、少なくともわたしは本書を読むまでは、犯人の名前と顔を見ても、続報があるなどして、もう一度目に入ることがない限り、その事件は数分で忘れてしまっていた。だから、その殺人者の近辺がどうなっているのかを深く考えたことはあまりなかった。というのも、普遍的な理由で申し訳ないのだが、自分には関係がないと思っていたからである。そもそも、自分に関係ない事を深く考える人はそうそういないし、そんな事をしていたら、時間がいくらあっても足りないのである。

加害者の家族について考えた事

そこで、一つの疑問が出てくるのだが、果たして殺人犯の身の周りの事を考えることは(損得で考える事でもないと思うが)プラスになるかどうかということである。

その点で一つの仮説が出てくるのだが、その(殺人犯の身の周りの)事を考えるともしかしたら、犯罪抑止力に繋がるかもしれないということである。

しかし、本当にそうだろうか?思うに、大多数の人は殺人を犯そうということは考えたりしないだろう。さらに、多くの衝動的な殺人においては、本書でもそうだが、人を殺そうとしていたのではないと考えられる。また、仮に人を殺めたら自分の周りがどうなるか考えれる余裕がある人が殺人を犯すのは、狂気の沙汰の領域であるとしか思えない。よって、絶対数の少ないと思われる殺人を起こそうかどうか迷っている人を抑止する、という点以外では甚だ疑問である。

ところで、犯人の身の回りを考える事は、道徳の面からすると、他人について考える機会が与えられるということでプラスなのは間違いなさそうである。なぜなら、他人のことを考えると往々にして、自己中心的な人間が減るからである。また、子供の頃から、他人の事を考えて行動しないといけないという事を存在意識に組み込んでおくことは、大事だと思う。もしそういった教育が徹底されていたら、他人に迷惑を掛けるマナーが悪い行為をしている場面で、ふと気付いて自制することができ出来るかもしれない。

この本を読むと、少なくともそういった加害者の家族の心や身辺について考える機会が与えられる。しかし、「一時的に感動してすぐ忘れました」というのでは、話にならない。その後いかに経験に活かすか、(例えばわたしの場合はこの本を読んでニュースを見た時、殺人犯の周りの事を考えるのが癖になってきている)が大事なのは言うまでもないだろう。

映画で話題とかを抜きにして、そういった観点から、みなさんも一読どうだろうか?

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燃えよ剣/司馬 遼太郎

posted in 23:57 2006年12月21日 by 涼微
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採点
75点

内容
新撰組副長を勤めた、土方歳三の男くさい一生を描いた作品。

あらすじ(「BOOK」データベースより)
武州多摩の田舎剣士、近藤勇、土方歳三とその仲間が、清河八郎の率いる幕府徴募の浪士組にまじって京へ上ったのが文久三(一八六三)年の二月。曲折を経て、同じ尊皇攘夷であった志士たちが倒幕へ傾いてゆく時勢のなかで、ひとり近藤、土方の新選組は佐幕の道をつき進み、京都守護の会津藩の先兵となって、池田屋襲撃などを決行し、長州藩、土佐藩ほかの憎悪の的になっていった…。―その新選組を創り上げた土方歳三は、最後まではげしく時流に抵抗し、滅びゆく幕府に殉じた。稀代の漢の生涯を巧みな物語展開で描いた傑作長篇小説。
 
読んだ動機
るろうに剣心で、新撰組が出たとき以来4年ぐらい前から読んでみたかった。

こんな人にお勧め
1、新撰組の王道小説といえばやはりこれ
2、司馬遼太郎の代表作を読みたい人

内容のレベル
    6 

新撰組について

初めに

みなさんは新撰組を知っているだろうか?また知っていたらどんなイメージを持っているだろうか?おそらく史上最強の剣客集団とか池田屋事件とか、そういった表面的なことが中心なのではないかと思われる。しかし、小説では性格等の内面的な記述や、詳細な生い立ちが描かれているから面白いのではないだろうか。

ところで、わたしはるろうに剣心から大河ドラマに至った経緯で興味を持ったのだが、大河ドラマは局長・近藤勇が中心のストーリーであり、彼が処刑されたところで終わった。しかし、本書は副長・土方歳三が中心で、五稜郭で彼が戦死するまでが描かれている。

組織

話は変わって組織には昔から、強烈なリーダーシップを持つものと、それを補佐する参謀がいるのは有名な話である。例えば、戦国時代で云えば武田信玄と山本勘助。また、日本企業で云えば井深大と盛田昭夫があげられるであろう。そこで、この新撰組に当てはめてみると、圧倒的な存在感で皆を引っ張った近藤勇と、見事に組織を作り上げた土方歳三。まさに有名になるべくしてなったといえるのではなかろうか。

見所

この本の一番の醍醐味はなんと言っても、土方歳三の男くさく、また、決断力があり、一途な生き方である。世の中の風潮にも出世にも興味がなく彼はただ新撰組に一生をかけた。逆に言えば視野が狭いとも取れなくもないのだが、あるものに一心に情熱を傾ける姿勢は見習うべきものである。しかし物事の対応性に欠けるということでは決っしてない、事実、西洋の戦闘戦略をもののみごと活用したのだから。

ところが、小説などの人物設定は現実とは違うというのはよく聞く話である。わたしは、この小説での土方歳三の性格は好きである、しかし誇張表現や美化されているかな?という部分もあったのもまた事実である。例えば、(本当は架空の人物である)七里研之助との最後の戦いのシーンは、何十人もの相手に囲まれていたが、なんとそこから、ありえない程の強さで見事に危機を脱したのだ。まぁ主人公を誇張・美化するのは良くあることなので別にいいのだが…

みなさんも、ぜひこの本を読んで歴史に名を残した人物の、人間性や行動を目に焼き付けてもらえれば幸いである。

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