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ゲーデルからの人物相関

posted in 05:46 2007年06月25日 by 涼微
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参考リンク

松岡正剛の千夜千冊 『ゲーデル再考』

(以下リンクはすべて(wikipedia)

クルト・ゲーデルとは、「数学は自己の無矛盾性を証明できない」という不完全性定理を発表した事で有名な数学者であるが、この不完全性定理というのは当時数学を形式化すること、すなわちその証明を形式化することで、数学全体の完全性と無矛盾性を示そうというしたダフィット・ヒルベルトジョン・フォン・ノイマンの試みをを打ち砕くものであった。また、そもそも不完全性定理というのはアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドバートランド・ラッセルによる『プリンキピア・マテマティカ』を応用したものであったというのも興味深い。

ところでゲーデルはオーストリー=ハンガリー二重帝国に生まれ後にウィーン大学へと進んだ。その頃のウィ−ン大学ではハンス・ハーンによって設立されていたウィーン学団という協会がありゲーデルは関心を抱くことになる。そのメンバーにはカール・メンガー、フィリップ・フランク、オットー・ノイラート、ルドルフ・カルナップ、さらに客分としてカール・ポパーとルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインと先輩格のルートヴィッヒ・ボルツマンといった錚々たる顔ぶれが揃っていた。また、このウィーン学団は論理実証主義を標榜としていて、物理学・熱力学・数学・社会学・言語学等を混ぜ合わせたまさに「知の巣窟」であった。

その後ウィーン学団はナチスによるオーストリア併合とともに消滅し、ゲーデルはアメリカに渡る事になる。そこにはロバート・オッペンハイマー、フォン・ノイマンもヘルマン・ワイルもアルベルト・アインシュタインもいた。特に家族ぐるみの親交を持ったのはアルベルト・アインシュタインであった。その後ライプニッツやフッサールの研究に打ち込み「ゲーデルの神の存在証明」等を執筆後72歳でこの世を去った。

私感

GEBに関する情報を探していたら、寧ろその周辺情報に目に入ってしまったのだが、やはり同時期の世界の天才というのは、巡り巡って何処かで出会うものなのだろうか。上記だけでもゲーデル含め10人弱は出会った事になっている。類は友を呼ぶと言われるが彼らの間では日夜知的な討論が繰り返されたことだろう。特にヘーゲルとアインシュタインの会話といったら日常会話一つととってもどれ程高度な遊びに満ちていた事だろう。

世の偉人との才能も同年齢における差も最早愕然と開いているのは了解済みであり、世の中の大多数と同様に知能においてちっぽけな役にしか立たない事は自明だけれども、それでも自分のためにも後世のためにも世の中の諸事情を解明するため日々膨大な量の文字の羅列の理解と世の中の観察をするのみであろう。

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小飼弾氏のプロフィールから見る10代の過ごし方

posted in 01:44 2007年06月03日 by 涼微
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一日数件の投稿量を誇るブログ「404 Blog Not Found」の管理人である小飼弾氏。書評・プログラム・ネットネタ諸々と何でも有りな氏の頭脳はどういう人生を歩む事によって成熟していったのかプロフィールを調べてみた ↓

404 Blog Not Found:小飼 弾 Errata, Addeda & FAQ

何だか色んな事が書いてあるがここで注目すべき情報は

中学で高校で勉強することをおぼえた
       ↓
中学卒業後すぐに大検取得

の流れの部分では無いだろうか。この思考法に到った論理を解明して自分のものにしていけば日本人の頭脳の水準が上がるのではないかというものである。さて、ここで考慮することは中学生にして高校の勉強をしようと思ったのは何故なのかという事と、果たしてその思考法にたどり着くことで誰でも氏並の能力に達するのかという事である。

まず、どうやってその思考法に辿り着いたのかという事であるが、本文には

それも登校拒否のおかげです。実に有意義でした。卒業式(最後にオフィシャルに卒業したのってこんだけ。わはは)に、恩師の皆さんに「9年間の義務教育がいかに役に立たないかを徹底的に教えて頂きありがとうございました」と深々と頭を下げたのはよく覚えてます。

と書いてある、ここからおそらく如何に学校の義務教育における受動的な均一化・普遍化や変わり者を排除しようとする事の逃れから発する集団適応化に毒されないで、能動的な思考力を獲得する事でモチベーションが沸くような目標を設定し得るかという事になってくるのだろうか。つまり、弾氏は他からの意見を相対と置ける程の自己論理を構築する作業を中学生期に完成させたのでは無いかという事である。

また当ブログの他エントリー

義務教育は押しつけでもいいのではないか

においては、

「9年間の義務教育がいかに役に立たないか」と言ったけれども、それが役に立たない、強いては社会には頼れないことが多々ある。自分で埒を開けるしかないということを早めに知ることができたのは、皮肉抜きでありがたいことだと私は今感じている。

ここでは、「自分で埒を開けるしかないということを早めに知ることができたの」一文が強烈である。果たしてこの事実を早期に知るためにはどうしたら良いか、まず一つ目は他人に頼れない程の孤立した状況に(自発的にか他発的にか)陥る事ではないだろうか、しかし仮にこのケースで他人に頼れ無い事を認識したとしてもそこから立ち直るポジティブさが発生するのに数年掛かる可能性もあると考えれる。そこで、もう一つ考えられるのは本を読む等して義務教育期の甘ったれた幻想から抜け出し現実社会を知ることであろう。

上記から他者の干渉を受けずに思考整理をさせ目標設定を設ける期間を義務付けてはどうかという事が提言される。確かに小・中学校において社会見学や自発性を促進させるような教育は存在していたが、今考え直してみるとそれは形式的であったように思う。またこの趣を実現しようとしたのが「ゆとり教育」という事になるのだろうが、結局は制度不完全だったのだろう以前の強制的な指導のほうがましだった程である。

さてもう一つの疑問であるこの思考法を獲得することで氏の様な頭脳を獲得し得るかという事であるが、

404 Blog Not Found:小飼 弾 Errata, Addeda & FAQ

においてまたこんな文も存する

ルービックキューブを子供のころに目をつぶった状態で、日常的に解いていた。

テストはいつも100点

まぁ結局は元々人より「出来る子」だったのだ(笑)おそらく「出来る子」であったからこそ自分で埒を開けるしかないということを早めに知ることができたという結論に到達することが出来たという因果が存在したのだろう。そして、出来る子だったからこそ後に自分で埒を開ける事を実現させたのかもしれない。

しかし、世の中には義務教育的な思考を引きずっている人、つまり周りに合わす事で自分の頭で考えるのが苦手な人が大半であるから、デカルト並みに今からでも自分なりの理論を構築すれば弾氏並とは言わないが頭がいい連中と対等に議論する事は出来ると考えられる。

最後に思いついたのだが、「出来ない子」には徹底的に将来の恐怖を植えつける教育をしたら面白い事になるんじゃないかなぁ (精神的にタフな子が増えると思うよ。それ以前に倫理的にどうのこうのという反発を受けるか 笑)

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本多静六自伝 体験八十五年/本多 静六

posted in 20:25 2007年02月15日 by 涼微
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内容(「BOOK」データベースより)
人生即努力、努力即幸福―。明治・大正・昭和を見事に歩んだ痛快無比の人生から、いまを生きる私たちのなすべきことが見えてくる。

項目

1 少年時代
2 苦学時代
3 大学生活を語る
4 ドイツ留学
5 教授時代
6 私の家庭生活
7 人と事業
8 人生即努力、努力即幸福

採点

75点

(評・感)本多静六自伝 体験八十五年

書評

わたし自身、本多静六という人物を本書で始めて知ったのだが、知らない人のために簡単に経歴を掲載してみる。

経歴(wikipedia

1880年  島村泰氏(岩槻藩塾長)に書生として師事。
1884年  東京山林学校(東京農科大学)に入学。
1890年  ドイツへ留学。山林学校(ドレスデン工科大学林学部)、ミュンヘン大学に学ぶ。
1893年  東京農科大学の助教授に就任。
1894年  東京専門学校(早稲田大学)の講師に就任。
1899年  学位林学博士を取得。論文は『森林植物帯論』。
1900年  東京帝国大学農科大学(東京大学農学部)の教授に就任。
1901年  日比谷公園の設計調査委員に就任。
1915年  明治神宮造営局の参与に就任。
1930年  国立公園調査会の委員に就任。所有していた山林(秩父郡大滝村、約2700ha)を埼玉県へ寄贈。
1938年  東照宮300年祭記念調査会の委員長に就任。

ところで、解説を務めている神田昌典氏も指摘している事だが、本書の内容はこの経歴の中でも主に、教授になる前までの26年間が大半を占めている。そこで神田氏の言を借りると、十代から二十代の時期に経験を積むことが大切だと言うメッセージを我々に伝えたかったのではないだろうか。という事で、わたしも大いに同意するところだが、しかしそれにしては具体的な記述に乏しく、誤解を恐れずに言えば、氏の生涯の断片を表面的に切り取っているだけように思われた。それについては、文字の大きさに対してのページ数の少なさ(260ページ)も物語っている。

もちろん、それには様々な要因が考えられる。本多氏は生涯約370冊の本を著したということで、恐らく具体的な記述はそちらのほうに書いているのだろうし(まことに恐縮ながら一冊も読んだことはないのですが…)、また本書は氏の生涯における最後の一冊と言うことで人生を大まかに印象的な事柄を振り返る意味の一冊にしたかったのだろう。

もちろん、お金儲けの意味合いが薄いと思われる本書(これは氏の性格からにじみ出ているのだが)においては、著者が書きたいことを書けばよいので特に否定はしないが、わたしが勝手に本書に思い描いていた氏の学生時代や教授時代における氏の具体的な生活様式の方法としては少し物足りなかった感は否めない。

おそらく、自伝と言いうのはこういうものなのであろう。

感想

著者とわたしの意図の違いを嘆いてもしょうがないので、ここからは本書の良かった点を書くことにしよう。

先にも書いたとおり、本書は幼少期から大学教授までのストーリーであるが、その現代では到底考えつかないような奇抜な物語は良かった。例えば、勉学が思うようにはかどらないと言うことで二度も自殺しようとしたり、外国に行き来するにはまだまだ不便な時代における留学記はとても現代生活では思いもよらない貴重で斬新なものである。

さらに、本書で言わんとしている人生を達観した者としての人生哲学

(こちらを参照のこと↓)

徳島SOHOクラブのブログです!

Ordinary Days

はこれを見るためだけのために、本書を買っても間違いないといえる程のものである。

補足(林学)

wikipedia

林学りんがく)は、森林、林業に関する学問分野で、造林、砂防・治山、林政、林産化学、林業工学、森林計画学などに細分されている。大学、大学院においては、農学部内に林学、あるいは森林科学などの名称で学科や専攻コースが置かれる場合が多い。

元来は、森林を資源として捉えた林業の側面からの研究が主であったが、現代では環境問題に重きを置いて研究されている。

なるほど、現代で言えば農学部林学科と言うことになるのか。本書で、初めて本多氏の専攻が「林学」と書かれていた時は、どういう事だろう?と思ったけど、本書を読み進むに連れてだんだん意味が分かっていく過程もそれはそれで面白い。

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(人物探求)佐藤 優

posted in 22:27 2007年02月05日 by 涼微
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佐藤優

 

 

佐藤優氏

 

 

自壊する帝国/佐藤 優 を読んでみてどんな人か興味を持ったので、遅蒔きながら少し調べてみた。

(Wikipedia)による経歴

同志社大学神学部卒業。同大学院神学研究科修了後、1985年にノンキャリアの専門職員として外務省に入省。1988年から1995年まで在露日本大使館三等書記官。モスクワ大学留学を経て、旧ソ連での外交情報収集ならびに情報分析にその能力を発揮する。

だそうだ。この文章から疑問に思うことは神学部と外務省に何の関係があるのか?ということだろう。実はこれには関係性は無く、当の本人によるとたまたまだったそうだ。しかし、神学部で習った思想・思考法が後々役に立っているのは明白であり、というのも、彼はソ連で外交官としてソ連の内部情報を収集し、日本に送ることが仕事だった。情報を収集することにおいて人脈というのが一種のキーワードになってくるが、彼の神学で培った論述法や頭の良さはソ連の知識人に受け入れられることとなり、着々と人脈を広げていった。また、モスクワ大学の哲学科の講師を勤める際にもその学歴を発揮している。

さて、その後2002年逮捕されたのであるが容疑は下記の通りである。

支援委員会をめぐる背任

・2000年1月にガブリエル=ゴロデツキー・テルアビブ大学教授夫妻を日本に招待したとき、

・同年4月にテルアビブ大学主催国際学会「東と西の間のロシア」に7名の民間の学者と外務省から6人のメンバーを派遣したとき、

この二つの費用を、外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑い。

北方領土支援にからむ偽計業務妨害

2000年3月に行われた国後島におけるディーゼル発電機供用事業の入札で、鈴木宗男の意向を受けて、三井物産に対して違法な便宜を図ったり支援委員会の業務を妨害した疑い。

この逮捕は鈴木宗男に関わった人間を悪者にしようという、いわゆる『国策捜査』による逮捕というものだそうだ。政府に反抗する者を逮捕することはよくある事なのらしいのだが、そんな恐怖政治が現代日本で横行しているというのも驚きである。

では、そもそも裏方業務に徹していた彼の名前を最近聞くようになったのはなぜなのだろうか?

それは、2005年3月に発売した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』がノンフィクションとしては異例の7万部を超えるベストセラーとなったことで、新潮ドキュメント賞および講談社ノンフィクション賞の最終候補作となるも落選したが、第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞することとなり人々に佐藤氏の職歴や事件の背景を知らしめることとなったからである。といってもわたし自身は少し前に知ったので約一年半の差があるのだが、これは遅い方なのであろう。

わたしはまだ自壊する帝国を読んだだけなので、ソ連崩壊期における彼の行動を垣間見ただけなのだが、今後『国家の罠』と『インテリジェンス――武器なき戦争』を読み、彼のより深い思考体系はたまた逮捕の経緯をより深く追ってみたいと思っている。また、彼の生き方を追うことは、第一級の知識人の考え方を学ぶということとほぼ同義であり実に興味深く、万人にとって価値のあることだと思われる。是非この機会に彼の著書を一冊読んでみてはいかがだろうか。

主な著書 

・2005年3月 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』

・2005年9月 『国家の自縛』産経新聞出版

・2006年3月 『国家の崩壊』

・2006年5月 『自壊する帝国』

・2006年7月 『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』

・2006年9月 『北方領土「特命交渉」』(鈴木宗男と共著)

・2006年11月 『インテリジェンス――武器なき戦争』(手嶋龍一と共著)

・2006年12月『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』佐藤優、魚住昭

・2006年12月 『獄中記』岩波書店

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