自分本位の怪しさ

posted in 18:36 2008年01月11日 by 涼微
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自分本位で自己主張的な人間の言動は怪しい。というのも他人配慮型の人間(そのように振舞っている場合も含めて)の方が一般的に自己が確立している確率が高いと考えられるので、自分本位型の人間は必然的にまだ論理的に話が出来そうに無いと考えられるというのが要因の一つであろう。

そして、人間が不快と感じる言動について考えてみるとその中にはそういった論理的・歴史的におかしな自分の脳内のみに依拠した(自分本位の)言動である事が相当数あるのではないだろか。

では、このような言動に陥らないようにするにはどうすれば良いのかという題目を考えてみると、少し話しが飛ぶが例えば自分を捨て何か他の大きなもの(例えば会社・国など)のために尽力するのはどうかと考えてみる。

そこで想起されるのは、国のためにと言えば戦前的なそして会社のためにといえば何か高度経済成長期的な思想であるかのような印象を受けてしまうという事である。そして、現代のトレンドはといえばたしか個人(の幸福)のためだったであろうか。そうした考えの下では、刹那的な快楽(強度)を求め人生に目的など無く法律に違反しない程度に自分本位に生きてもかまわないという考えが起こってくる。

もっとも個人的にはこういった現代的な考え方も嫌いではないが、しかしそこにはある限界が見え隠れする。すなわち、自分の選択した範囲でしか動けないために他にほとんど影響されずに生じる個の限界と言うものである。

そこにおいて、その個人的限界を超えるために何か大きな物に従事するのが良いという(戦前的とも高度成長期的とはまた違った)行動の実行が想起されるのである。ただし、その大きな存在に巻かれて自分の考えが無くなった時また別の問題が、すなわち信奉者としての問題が発生するであろう。

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