能動的勉強法〜勉学の根源的娯楽性〜

posted in 05:07 2007年06月10日 by 涼微
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(「下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち /内田 樹」読んだらもうちょっとましな文になるかな) 


勉強を能動的にするとは―そこには世間一般的な勉強に対する姿勢である受動的な姿勢(〜が勉強を押し付けてくるからやらなくてはならない・世間に対する評判が良いから〜大学を受けよう等)とは存在を異にする。(初歩の初歩の段階ではそれでも良いだろう。)

その姿勢の差異おける弊害は端的に勉学に対する好悪感情となって現れる。というのも人間は一般的に能動的な態度で望む事柄に対しては自己正当化のために無理にでも好感を持とうとし、受動的にやらされる事柄に対しては反射的に拒否反応が起こる生き物であるからである。

上記のことは例えば自分から話し掛けるか話し掛けられるのを待つかという事例を考えてみれば想像がつく。自分から話しかけようとする場合においてはそこsには精神的に”好”の感情が生じているが、話しかけられる場合においては反射的に”嫌”の感情が混じっていないだろうか? この段落は微妙

そもそもアリストテレスは「すべての人間は生まれながらにして知ることを欲する」と説いたものだが、そこには生きていく上で困難性を排除するための知識欲と五感で感じている現象を解明するための知識欲が介在していると考えられる。そしてどちらの知識欲も生きて行く上で自然的に触発されるのではないだろうか。しかし、その触発が起こる前に知ることを嫌いにさせるようなまたテレビを無意識的に見るといった特に考えなくても勝手に情報が入ってくる受動的姿勢がはこびる事が問題なのではなかろうか。

社会欲との関連について 

(中身)

しかし、だからといって幼少時代の教育が悪く学生時代に勉強がどうしても好きになれないからといって落ち込むことも無いだろう。この世には勉強以外にも価値を置くべきことは山ほどあるのだから。

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