2008年01月

偏差値について

posted in 20:36 2008年01月21日 by 涼微
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前の記事の経済学検定のランク判定で偏差値と範囲の対応について初めて詳しく知った事なのだが、それは偏差値60というのは所詮上位15%でしかないという事である。これは意外と重要で上位15%という誰でも努力すれば届く範囲の事をやれば社会的にはそれなりの評価が与えられるということである。ところで、偏差値といえばすぐに思いつくのが大学受験であるがいかんせん年齢も20を超えるとセンター試験を受けようにも大学卒業の年齢を逆算すると多少の無理があるので、その年齢ぐらいからならば仕事につながる資格や公務員、大学院のために勉強した方が良いだろう。

ところで、どの大学を出るかなんてのは所謂、人生の序盤において社会的成功(例えば年収・名声など、まぁ個人的には対して興味はないがもっとも金はある方が楽だけど)とはあまり相関がないような5教科の勉強をどれだけがんばったのかという指標をあらわす”資格”でしかないのである。もちろんここでは基礎学力の無意味さを説いているわけではないし、(寧ろ十分に読み書きしてない連中の話などは聞くに堪えないものである)また、シグナリングとして機能する大学名と多くの人が社会的成功と考えている職業の就職率が相関する事を否定しているのではなく、寧ろそういったシグナリングとしての機能を果たすといった種類の”資格”なのであり、偏差値において二流・三流の大学に通っているからという理由でその人の人格や忍耐力などの要素を何から何まで全否定すべきでは無いという事である。

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焼酎のココア割り

posted in 01:57 2008年01月19日 by 涼微
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いいちこ

奇蹟のブランド「いいちこ」 

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いいちこ本

下町のナポレオンこといいちこをBOURBONのお徳用ミルクココアで割ってみる。味はなかなか甘くておいしい、さらに香りも良い。これは夜の作業用のお供になりそうだ。

もともとわたしは少し酔いたいときに焼酎を飲むぐらいで特においしいと思いながら飲んでいるわけでは無かったが、少々甘いもので割ったら意外といけるかもしれない。

ちなみに缶チュウハイはすぐ飲めてしまって金が掛かるのでここのところ買わないようにしている。まぁ、酔うだけなら別に味はなんでも良いからな〜

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京極夏彦氏の睡眠

posted in 17:11 2008年01月18日 by 涼微
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ほぼ日 京極夏彦はいつ眠るのか。

これ読んでて確信めいたのは、やはり何かに取り組むのに必要なのは思い立ったらほかの事を気にせず勝手にやってる状態つまり”没頭”だね。それもかなり長時間の。だから、”没頭”無しに何かある分野(例えば、ある学問的な知識からオタク的な知識にしろスポーツにしろ遊びにしても)の中で上位の能力があると思うのは少なくとも御門違いというものだろうし、よって”没頭”していないという事があまりよくない結果に結びつきそうな指標にもなり得るだろう。

こう考えると「好きな事を仕事にするのはよくない」とかいう言葉はおかしなもので、多分それは別に好きな事ではないのだろうし、恐らくそういう人は別段何を仕事にしてもよくないと感じるものだろう。

もう一つ付け加えると「何々出来るようになるために何々するのを我慢しよう」という態度もたかが知れているし、そんな表明をするくらいなら中途半端に我慢などせずに飽きるまでやれば良い。もっとも、あまりにも金が掛かる事は少し自制したほうが良いが。

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慢心の考察とやる気論理

posted in 04:11 2008年01月18日 by 涼微
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勉強のやる気という点でいえばここのところ去年の3月水準並に復活してきたので、ここでやる気の時間の経過とともに考察もしてみよう。

そもそも去年の3月以来続いていたやる気を損なわせた原因はなんだったのか、様々考えられるが恐らく一番の要因は”慢心”である。では、そもそもなぜ”慢心”が起こったのかと言う事を想起してみると、これは周りの水準につられてしまったからであろう。少しでも同年代の人と話したりインターネットを巡回してみれば飛び出してくる、「二十歳前後ってこんな水準だっただろうか?」と思っても仕方が無いような不明晰な言葉の数々に段々”慢心”していってしまったのだろう。しかし”慢心”の状態では出ないのが結果というもので、見事に去年後半から今月前半にあったいくつかのテストがあまり好ましくない結果に終わり反省する事となるのである(もっともこれは”慢心”してしまった事の反省でその時期にしていた事を悔いるのはお門違いである)。

ところで、よく考えるとわたしの人生”慢心”の連続である。少しでも良い結果が出ると過信してしまう性質をこの二十年間持ってきたが、恐らくそれは人生の初期において大多数の人が持っている性質であろう。いや、もしかするとある程度歳をとっても持っている人は多数いるのかもしれないが、少なくともわたしには多大な悪影響を及ぼしているであろう事がこの二十年間を見てみると分かる(もしかして欝気味になるのを防いでいるのかもしれないが)。

さてここで”慢心”を害のあるものとして排除し、次に昔考えていた二択問題を想起する。それは人生を出来るだけ楽に過ごすのが良いか苦労し続けて生きるが良いかという二択である。しかし、どうも色んな人の人生を拝見していると少なくとも金も無いのに何も活動しないで一定の水準の生活を保つと言うのは無理そうである。そこで、もし二択ならばここである程度苦労をするという選択を取るわけだが、実はここで苦労をしなくてもよいもう一つの選択肢がある。それは、”苦労”を”苦労”と思わない事だ。これは、一見難しそうに見えて実に簡単だ。なぜなら”苦労”は不変的ではなく可変的であるから、つまり自分の主観によってどうにでも出来るからである。少し前にはてブ界隈で流行っていた「努力家 対 一発屋」論争などするまでもなく、”苦労”を自分用にカスタマイズして成果をあげるように持っていけば良いのである。ただし、一つ注意しなければいけない事は体を酷使しすぎてはいけないと言う事だ。理由は簡単で過労で倒れてしまっては元も子もないからである。

さて、この理論でいけば勉強を一定以上する事などいとも簡単に出来る。わたしの場合は取り敢えず経済学・法律・数学・英語・文書力etcあたりを近いうちにある程度にしないとどうにもならないから勉強するのだが、これは人によって様々であろう。

それにしても前のやる気時期といい今回といい、多読したら何か書きたくなるのは自然の摂理に近いものがあるであろうと同時にその人の頭の中が動いている証拠であろう。

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「才学博通への道」さんからのトラックバックへの意見

posted in 19:46 2008年01月16日 by 涼微
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才学博通への道

どうもわたしの稚拙な文章を考察して戴いてありがとうございます。コメント欄でも良かったのですが少し長くなりそうなのでエントリーとさせて頂きます。あと「学士」とありますけどまだ大学卒業してないですけどね(笑)

では、貴考察からいくつか突っ込みどころをあげさせて頂きますと、まずは

>そもそも自らがある考えに絶対的肯定、或は絶対的否定する信念たる主体性を持たずしてこの民主主義が目指す理想にいたる事はできぬと存じます。

>その緊張空間が思想の寝床となり両論を超克する論理が生まれ(それを見抜く第三者が必要だけれども)より真理=究極の政治へと近づくことが可能となる。

ですね。(仮にある理想があると想定したとしても*1↓)ある理想に至るためには「絶対的肯定 対 絶対的否定」の構図だけではありません。例えば、ある理想に至るための案を様々な人が考え提出したとすると、その性質は必ずしも「絶対的肯定 対 絶対的否定」では無く寧ろ、一部肯定や大部分否定といった案の方が多く出てくるでしょうし、また論理(政治)の構築において対立的な意見からそれを超越するという方法論を見つけるというのは理想的であり、現実的には様々な案の中から妥協点を取捨選択して擦り合わせていくプロセスこそが自分本位的な誤り無く決定するための方法論だと思われるからです。


*1
ちなみに「理想」、貴エントリー後半部分の「道徳」、「絶対主義」のおかしさにつては例えばこの文章(黒とつ)などを参考。

一言で言うと、「理想」「道徳」といった類の言葉を掲げて生きている人間は誰か?そういった言葉は決して権力を持った人間は用いない。さらに何かにすがる「絶対化」こそ愚かな行為である。


>そういたしますと貴論での考察では、経験を獲得した事が真理を獲得したとの考えに陥る擬主体性者であると汲み取りました。

たしかにわたしのこのエントリーだけを見るとそうも取れなくはないですが、わたしは基本的に経験論者(擬主体性者)ではありません(寧ろ見聞きしたものを精査した情報を結構重視していますし)。「自分本位の怪しさ」記事内の第三段落目二行目の「少し話しは飛ぶが」のところで”この話は仮定ですよ”というニュアンスを一応出しているつもりです。

>書きなぐりの長文ですが第一原理に人間の幸福たるものを民主主義の枠内と狭義に設定、第二原理に自己本位(主体性)の獲得は必要なものであるとし、第三原理にその方法論のもっとも最良なるもに道徳を据えました。

そして最後の結論部分ですが、仮に幸福の設定を現代主流の民主主義の枠内に設定したとして、というかここへきてやっと分かったのですがなぜ意見がずれるかというと恐らく「自己本位」の定義が双方で違うからですね。わたしのエントリーでの「自己本位」は”他人の意見を聞いて自分の思想を磨かないまま自分が妄信している考え方に依拠する言動”というニュアンスなのですが、神田氏の「自己本位」は”憲法十三条的な個人の尊重を根拠にした主体性を持った言動”という意味だと思いますが、もちろんわたしはそういった意味の「自己本位」は否定していません。よって、主体性という意味での自己本位は同様に必要であると思いますが、第三原理の”方法論として最良なものを道徳とする”のは少し怪しいですね。前の文脈からここでは特に武士道的な道徳を想定していると考えられますが、ここで個人的に武士道を詳しく読んだ事がないという問題は少し脇に置いておいて、わたしから最後に一つ提案できるとしたら何か一つの思想(ここでいう道徳)に絶対的に偏らないで、いろんな思想に触れて自分の思想を磨いていくのが一番いい姿勢だと思われますよ。なぜならある思想を絶対視した瞬間にその思想は陳腐なものになるからです。

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自分本位の怪しさ

posted in 18:36 2008年01月11日 by 涼微
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自分本位で自己主張的な人間の言動は怪しい。というのも他人配慮型の人間(そのように振舞っている場合も含めて)の方が一般的に自己が確立している確率が高いと考えられるので、自分本位型の人間は必然的にまだ論理的に話が出来そうに無いと考えられるというのが要因の一つであろう。

そして、人間が不快と感じる言動について考えてみるとその中にはそういった論理的・歴史的におかしな自分の脳内のみに依拠した(自分本位の)言動である事が相当数あるのではないだろか。

では、このような言動に陥らないようにするにはどうすれば良いのかという題目を考えてみると、少し話しが飛ぶが例えば自分を捨て何か他の大きなもの(例えば会社・国など)のために尽力するのはどうかと考えてみる。

そこで想起されるのは、国のためにと言えば戦前的なそして会社のためにといえば何か高度経済成長期的な思想であるかのような印象を受けてしまうという事である。そして、現代のトレンドはといえばたしか個人(の幸福)のためだったであろうか。そうした考えの下では、刹那的な快楽(強度)を求め人生に目的など無く法律に違反しない程度に自分本位に生きてもかまわないという考えが起こってくる。

もっとも個人的にはこういった現代的な考え方も嫌いではないが、しかしそこにはある限界が見え隠れする。すなわち、自分の選択した範囲でしか動けないために他にほとんど影響されずに生じる個の限界と言うものである。

そこにおいて、その個人的限界を超えるために何か大きな物に従事するのが良いという(戦前的とも高度成長期的とはまた違った)行動の実行が想起されるのである。ただし、その大きな存在に巻かれて自分の考えが無くなった時また別の問題が、すなわち信奉者としての問題が発生するであろう。

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数ヶ月に発表用に作った事業計画書

posted in 12:06 2008年01月10日 by 涼微
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何という手抜き…


WEB情報誌・コミュニティー

事業内容 
IT関連情報の提供…PC関連の会社や製品の動向・WEB上の人気サービスの紹介・ニュースには出ていない記者があつめてきた独自情報・コラム

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オンライン商品販売…例えば情報提供に連動したPC関連製品やウェブ上で公開した文章の書籍など         

会員制コミュニティー…質問や意見交換の場を設ける・お気に入りのウェブページの共有

事業方針
 インターネットの広告媒体としての利用が増加していく中で、多くの読者に信頼され価値有る情報を提供し、そこに生まれるマーケット・プレイスを顧客企業に提供することで起業価値を継続的に高めていく。

事業計画 
準備
  ウェブページ作成…(起業者がサイト作成の知識を前提)
  記者・技術者募集…ある程度経験のある人材を雇っておく
  記事・コラムの原稿の依頼…目玉となるような著名な書き手やコラム連載の依頼
  
起業後    
 コンテンツ(記事数)の追加・ページビュー・ユニークユーザーの増加 まずコンテンツを集中的に増やす・広報活動(e-mailやlink)
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テナント料 

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