2007年03月
二十歳のころ〈1〉1937‐1958―立花ゼミ『調べて書く』共同製作/立花 隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ
この本はたまたまBOOKOFFで¥105で見つけたのだけれど、丁度わたしも20歳という事もあって、感情的な言い方だけどめちゃくちゃ良書である。
(本書の進め方はインタビュー形式で、31人分収録されていて)まだ、この一巻も20人ぐらいのインタビューを読んだだけで、さらに二巻も三十人ぐらい収録されているということなのだが、自分に影響を与えてくれそうな人の「二十歳のころを」読んで、その生き方にプロットしていったら同年代ではそうそう敵がいない事になりそうな予感がある。そうなるとやはり近いうちに都会に出て上位層の実力を確認しにいかないといけない日が来るであろう。というのも、まだ「井の中の蛙」である危険性が十二分あるからである。(いやいや世界は広いよ)
さて本書の内容に入ると、まず前書きにはこう書いてある、
なぜ、(題名にある様に)「調べて書く」なのかといえば、多くの学生にとって、調べることと書くことがこれからの一生の生活の中で、最も重要とされる知的能力だからである。調べることと書くことは、もっぱら私(立花隆氏)のようなジャーナリストにだけ必要とされる能力ではなく、現代社会においては、ほとんどあらゆる知的能力において、一生の間必要とされる能力である。
(中略)
調べて書くということは、それほど重要な技術なのに、それが大学教育の中で組織立って教えられるという場面がない。
今更言うまでもないことだが、全くもってその通りであり、わたしもブログを始めた当初は文章を1時間ぐらいがんばってやっと10行ぐらいしか書けずに自分の作文能力の無さに愕然としたものある。
では、世間一般の20代前半の人はというとやはり文章能力があるかどうかは甚だ疑問である。というのもわたしは昔記事を書くごとにトラックバックを送りまくっていたのだが、20代前半でしっかりした文章のブログを書いている人は見た限りではほぼ皆無だった。ブログを書いている人がいたとしても、数行の日記みたいなものばかりで、とても文章が書けているとはいえない水準のものばかりであった。
(書き掛け終了)
ホームページを発見したのでこれを読めばこの本の良さが分かる
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大卒採用来年春13,5%増 & 働くということ/黒井 千次
3月18日の日経新聞に
「大卒採用来年春13,5%増」
という記事が一面にでかでかと出ていた。
この記事から来年、大学院進学を目指している者が考慮しないといけない事は、「果たしてこの就職における所謂、『売り手市場』の来年の現状に対してでも就職せずに進学する事のメリットはあるのか」という事だ。
仮にこの二点を吟味しないで一義的に進学しようとする者がいるのなら(メリットをしっかり考慮していないのなら)、はっきり言って「視野が狭すぎのただの猪突猛進」であるからこの先の人生も苦労する事だろう。
さて、ここからは自分自身について分析して文章にしてみたいだけあるから特に興味が無ければこの先は読まなくてもよろしい。
と思ったが、急に思い立って大学院に行くという報告と高校時代の参考書を実家に数百キロの距離を日帰りで取りに帰ってたら時間と体力の消耗と供に書く気が消滅してしまった。
まぁ断片的に書くとすれば
一日中思考・勉強している最近の生活から、体を使うより頭を使うほうが好きなようだ。そして、そういった職には資格を取る・高等教育を受ける等して勉強している姿勢を示す事が大事であろう。
一般的に「文系大学院は就職に不利」と言われるが、少し考えてみればそんなことは無い。大学院の二年間分他の人より高等教育を受けていたとアピールすればどうにでもなる自信がある。
それともう一つ所謂「学歴ロンダリング」は悪しきものだという風潮があるがそんなことは無い。そもそも、たかが人生18年間目でその後の人生の数十年を決める(言うまでも無く大学受験)などというのは暴論であり大学在学中に何かに気付く者もいるだろう。そういった人の救いとしての大学院というのがあっても良いと思われる。
しかも、そういった人(少なくともわたし)は大半の大学入学の様に、ただ入ることが目的というわけではなく、その後の人生を考えた末の合理的選択であることが多いのではなかろうか。もっともこれはわたし以外の人に関しては希望的観測であるが…
そういうわけで、「働くということ/黒井 千次」については言及はしなかったが、敢えて言うなら働くことに疑問を呈している人は一度ぐらい目を通してみたらその疑問は解消できるかもしれないよ。
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Recovery of the PC
そもそもの事の始まりはこうだ―
なぜか二日ぐらい前からデスクトップ上のどのアイコンをクリックしてもシステムが起動しないし、そのままフリーズする(なぜかタスクマネージャーは動く)という理解不能な事態に陥ってしまった。
その後、パソコン素人なりに付属の説明書を読む等して、パソコンの電源を十回分ぐらいつけたり消したりして対処してみたが全く進展がない。そうこうしている間にリカバリディスクといういかにもこの緊急事態以外に使う時があるのかよというぐらい場面に嵌った代物を押入れの奥から発見した!
という事で早速期待に胸を膨らませながら使ってみる………
しかし、どうやってもリカバリディスクが起動しない
まぁ、分からなければパソコンでググレカス [ gugurecus ] (西暦一世紀前半〜没年不明) というわけで大学にいって「リカバリディスク TOSHIBA」(←東芝製)と検索してみると、どうやらF12キーを押しながら起動ボタンを押すと使えるらしい旨が記してあった。
という事で早速、時速5キロ(標準速度)の速さで家に帰ってF12キーを押しつつ起動ボタンをスイッチ。すると、
「おぉ!なんかいかにも現状を打開してくれそうな画面が出てきた!!(心の声)」
さらに、その画面に訳の分からない文章が書いてあったけど取り敢えずCドライブが消えますよ云々かんぬんのボタンを押してみる。
「まぁ、Cドライブが消えてもDドライブとか他のアルファベットのドライブが内臓(嘘)してあるからまさか全消しにはならないだろう。ちなみに越前はドライブC(じゃねぇやBだ)。」
とか思ってたら、リカバリ終了後内容ほぼ全消しで初期設定からやり直し (笑
しかもドライブの意味が分からずにバックアップとってなかったからほぼ一からやり直し (笑
まぁ、容量とってたエロ動画と音楽捨てる丁度いい機会になったし、何より処理速度が格段にアップしてるから以外とプラスかもなぁ。とこういう時はプラス思考になるのが一番良い対処法である。(巷では能天気または無能者とも呼ぶ)
という事で情報格差社会による優劣の差異について身に染みる?
と供にパソコン初心者の皆さんもリカバリをする際には気をつけましょう←
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意味論〜現状へのアンチテーゼ〜
意味論と書いたけど、わたしがここで想定している意味論と本式の意味論の定義は全く違うので注意されたい。
本当の意味論はこちら(wiki)
ここでわたしが想定しているのは、果たして現在している事は本当に意味がある事なのかどうなのかと逐一考える事である。一歩進んで現在の行動は全選択肢の中で最良の事なのかどうなのかとしても良い。(この事を著すのに最適な表現がありそうだが思い浮かばない、そしてこういった考えは超主観的な答えしか出せない)
さて、そのためには現在の行動と逆の選択肢―要するに現状へのアンチテーゼを想定してそれと現状を吟味してみる事が一つの方法である。
さて、前提はこれぐらいにして私にとって今現在最も時間を占めている事は大学院を前提とした勉強(主に経済学)である。では、これに対するアンチテーゼを考えてみると、実務能力を鍛えたりして就職に控えるというのが思い浮かぶ(アンチかどうかは微妙だが他の選択肢たりえる)。
要するに来年の就職活動に向かって企業を調べるだとか、コミュニケーション能力を高めるだとかいったアカデミックな部分から離れる事をしてみたらどうだと言う事である。(もちろん現状のアカデミックの欠如は言うまでも無い)
特にコミュニケーション能力に優れる、やや言い換えて世渡り上手になることはこの先、生きていくうえで最も重要な事の一つであろう。しかし、本と対話している限りではこれは身に付くものでもない。特に今春休みと言う事で、週一のバイトとたまに遊ぶ(ある種の下等な遊びには意味を見出せない)時以外、人と話していない事になる。
また、わたしは無駄口をたたくのは嫌いな方なので、(注 嫌いという言葉には二通りの意味があるすなわち本当に嫌いな場合と出来ないから嫌いと思い込み自己保身している場合とであるが、後者である気もしなくも無いので)いざ話さないといけない時(面接とか)にちゃんと話せるのかは特に経験が無いので一抹の不安が残る。
ここで個人的に問題になっているのは、勉強する時間と広義の対人スキルのための(人脈etc)時間との割合であるのだがどうも最適点が良く分からない。
さらに、現状している事への意義の思考と供に「書を捨てよ町へ出よう/寺山修司」の精神を実行している間に勉強の進み具合が鈍ってきた。しかし、なんだか漠然としたものだがネガティブさよりポジティブさの方が優っているので歓迎されたい。
さて、本題へと戻って現状へと懐疑する事は必要でありまたそれによって人類の進化がなし得て来たというのは想像に難くないが、ところで「下手の考え休むに似たり」と言う言葉がある、要するに馬鹿な者が必死で考えた結論は、何も考えず休んでいて結論を出さなかった状態と大差が無く、全くもって無意味であると言う事だ。
これは知的な者が馬鹿を見下す時の言葉であるが、しかし本当の馬鹿はそもそも考えるという行為に至らない(自発的ではなく他人の影響により考える事はあるかもしれない)のであり、生きていく上で他人に流されておけばそれで幸せな一般大衆を指す。
また、逆に知的な者はある一位に定まった絶対的な自分基準を持っており、ある種の疑問に対して暫定的な答えを出す事が出来る。(ここは恐らくの話)
そこで、一番惨めな者は中途半端に考える事を始めて暫定的な答えを出せずに苦しんでいる者を指す。しかし、恐らく大半の知的な者はこの時期を乗り越える事によりその知的さを獲得しているものと考えられる。
その観点から言えばこの種の悩みは必要な物と考えられるが、果たしてそこからの帰結―要するに現状に満足して思考を止めてしまうか、はたまた一段階上のフロンティアに行くのかという岐路を乗り越えるかどうかでこの先の人生が大いに違うものになるのだろうか。(こんな事を書いてる時点で答えは一義的だが)
しかし、こんなちっぽけな(わたしが思いつく程度の)問題は過去に何度もシュミレーション(繰り返え)されて来たに違いないから必ず似たような事例はいくらでもあるだろう。
また、現状に特に懐疑的で無いと思われる大人(本人がそれで満足なら何も言うまい)も数多く見てきたので、特にそういった馴れ合いの果ての一般大衆を反例にしていくのも良いかもしれない。
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マンキュー経済学〈1〉ミクロ編/N.グレゴリー マンキュー・(訳)足立 英之・小川 英治・石川 城太・地主 敏樹
項目
第1部イントロダクション
第2部 需要と供給1:市場はどのように機能するか
第3部 需要と供給2:市場と厚生
第4部 公共部門の経済学
第5部 企業行動と産業組織
第6部 労働市場の経済学
第7部 より進んだ話題
個人的にミクロ経済学の全体把握のために、今更5時間ぐらいで斜め読み、一部精読。もっとも、この改訂版は図書館にて貸し出し中だったので、初版の方ですけども。
716ページというページ数からして言うまでもないが、ある程度の経済学の知識がある者にとっては「分かり易さ」という名の元で内容が冗長であるからして、既知の部分が多く出るというレベルからも時間対効果の観点からも細部まで読む必要はまず間違いなく無い。まぁ、読み物として面白い具体的・コラム的なところや現状では不足している知識の部分だけ読めば良いだろう。
このレベルだと読者対象は大学初年度におけるやる気ある人向けといった感じかな。というか経済学部に入る人は損は無いからこういった基礎体系的な本を読んでおいた方が良い。
そうしたらわたしみたいに今更になっていちいち斜め読みして知識の補足をしなくてはならないレベルでは無くなるから。まぁ、数学の知識もほぼいらないから一日二時間ぐらいでも半月あれば読めるだろう多分。
もっとも、これだけでは゛経済学゛とは呼べないので、基礎をかじっときたい人以外はより上級の経済書を読まなければならない。
(斜め読み&手元に無い、とかこつけてよく覚えてないから月並みのことしか書けない ^^;)
それにしても、第7部のより進んだ話題が予算制約式とか実際半歩ぐらいしか進んでない(注 旧版) (笑
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勉強・ブログの方向微修正
1週間ぐらい前に15時間勉強するとか宣言してた人がどこかのブログにいたけれども、これは実証の結果2+1つの理由で容易ではない事が判明した。
という事で簡単な数式(けっきょく、足し・引き算だけかよ)を交えつつ、その理由を見ていく事にしよう。
1、時間的な難解性
仮に一日15時間の勉強時間を取るとすると、一日24時間と言う制約からして残りは、9時間と言う事になる。
24 − 15 = 9
そこからさらに、人間が健康を維持できる睡眠時間を7時間と仮定すると、
9 − 7 = 2
と、勉強の合間の時間は2時間しか取れないのだ!!(何を今更…)
さらに、ご飯を1日2〜3食分食べる時間を1+α(学食への移動時間・寄り道)時間と仮定して、風呂の0.5時間、トイレに0.5時間かかるとすると、
2−(1+α+0.5+0.5)=−α
と、なんと勉強時間を引けば生態的に必要な時間だけで24時間からα時間はみ出してしまうのである!
ここから更に、休憩の時間を取ろうと思うと明らかに時間が不足している!!
よって、一日15時間勉強は精神に障害をきたすと証明される。
2、身体的な難解性
どうも、わたしは昔から疲れたら頭が痛くなる性質なのだが1週間勉強してみて発覚した事には、13時間ぐらいで続けるには辛いほどの頭痛に見舞われるらしい。
前々から10時間は余裕でこなせていたのだが、この3時間に仕掛けがあったわけですね^^;
しかし、13時間なら中学校の期末試験勉強の時(注 大学受験中は軽く欝だったので結局達成出来ず。ってどうでもいいか)数回達成したような気がするんだがなぁ。
これは慣れればどうにかなる気もしなくもないが、わたしは勝手に13時間以上の勉強(若しくは何か一つの事)を数日続けると精神が崩壊するという、頭痛によるサインと受け取っている
+1の補足
人間何か一つの事にしか、意識がいってない場合のその視野の狭さは危険である。そもそも、一つの学問体系のみから世界の事象を把握しようとする考え方は無理があるものだ。
そういうわけで、物の見方が一方向的だと将来的に重要な事に気付ける瞬間に立ち会っても気付けない、そんな状況に陥る事であろう。
よって、一つの学問のみの勉強からの脱却が要求される事となるのである。(多分)
結論
以上のように見てきて、15時間勉強からの逃げとも取れなくは無いが(笑)あまり一つの事を集中的にやっても効率も上がらないし、視野の狭さも感じる限りである。
そこで、自分への勉強モデルの提案としては
経済学 英語 他分野読書
7 + 3 + 3 = 13
睡眠 休憩等
7 + 4 = 11
勉強等 広義の休憩
13 + 11 = 24
といった感じかなぁ。
しかし、睡眠が5時間ぐらいで平気にならんものかね。この辺は要検討の余地ありといったところだろうか。
後は、英語が出来ないとこの先話にならないこと請け負いなので、もうちょっと時間をかける必要があるかもなぁ。
それにしてもこの記事にしても過去の記事と比べると、ずいぶん自由度が増したものだなぁ。ほぼ日記帳だねこの記事とか。
A君 : なんだろう公共への発信という恐れが無くなったからかな?
B君 : まぁ、堅苦しくても面白くないしなぁ。
Cさん : 多分勉強のしすぎ?で頭がおかしくなったんじゃない?
それは、おそらくとつげき東北 さんのホームページ(無断転載失礼)を久しぶりに読んだからだろう。
(ホームページの上の方の非麻雀系の文章とか、後5年程(希望的観測)は追いつけそうに無いセンスですわ)
もっとも、最低限のネットルール遵守と読者に飽きさせない(定期的な読者がいるかは謎だが、まぁ5人もいないだろう ^^)文章には気を付けます。
題名から逸れてきたので今日はこの辺にして、勉強しよ。
まぁ、本来の目的だった書評もたまにはやるか…
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(書評)インテリジェンス 武器なき戦争/手嶋 龍一・佐藤 優
項目
序章 インテリジェンス・オフィサーの誕生
第1章 インテリジェンス大国の条件
第2章 ニッポン・インテリジェンスその三大事件
第3章 日本は外交大国たりえるか
第4章 ニッポン・インテリジェンス大国への道
採点
85点
(書評)インテリジェンス 武器なき戦争
外交をするに当たって、インテリジェンス(情報)を扱うことは必須条件である…本書はそういったテーマの下、手嶋 龍一氏・佐藤 優氏の両インテリジェンスオフィサーが国際的または歴史的な外交インテンジェンスの話題を出しながらの対談形式で進められていく。
「インテリジェンス入門書」と言う触れ込みだがまさにその通りで、というのもわれわれ一般人が表面的に情報を受け取っている限りでは分かりえない裏の事情が彼らインテリジェンス分析官には分かり、そのインテリジェンスから分析した情報を用いて、外交を運ぶ重要さを初心者に分かりやすく説いている。
さらに、その重要さを説く際の事例が豊富なのである。例えば、第二次世界大戦期に日本で暗躍した二重スパイであるリヒャルドゾルゲについての事情や、はたまたイラク戦争における各国の動きをインテリジェンスを中心に追ったり、とにかくわれわれではとても思いもつかない分析を展開しインテリジェンスの魅力を220ページに渡って語っている。
また、両人は日本がインテリジェンス弱国である事を心から憂れいている。それは、本書一番の主張であるところのインテリジェンスに携わる人材を育てよと何度も繰り返しているところからも読み取れるが、近い将来お二方が先陣を切って行動に移すのではないかという期待も持たせてくれる。
しかし、本書の情報をすべて鵜呑みにしてはいけない。というのも両人が言っているようにこういった公に出る情報は、二重にも三重にも仕掛けを施してあるものだからであるが、本書におけるその仕掛けを見抜くのも面白いかもしれない。
(感想)インテリジェンス 武器なき戦争 に続く
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